Washing Hinomaru in Taiwan

台湾のパフォーマンスは「Washing Hinomaru 日の丸の洗濯」というタイトルで、儀式としてのパフォーマンスで、複数の日章旗を洗濯機で洗濯し、乾燥、アイロンがけをしてたたむという行為を繰り返して行います。日章旗は物干し用のロープで乾燥され、展示物としても機能し、日章旗とその行為は鏡の役割を果たし、見る人によって様々な解釈が存在します。最終的には日本が占領した全ての国に行きたいと思っていて、他の作品を作りながら、たまに発表していました。

そんな中、今も続いているガザやウクライナの戦争やミャンマーのニュースを見ていて、何かしないといけないけれど、何をしたら良いのかわからず、オロオロしていました。イスラエルに行ったこともありますし、ロシアやウクライナ、ミャンマーの方々と直接お話を伺う機会もあったのにも関わらず、降り積もる情報が自分の中でどんどん上書きされていくのが恐ろしいなと感じていました。

ある日、来日していた香港の友人と会った時、友人が「自分は国を失った」と言っていたのが、とても胸に刺さりました。香港では大学の先生だった友人で、とても穏やかで政治的な作品を作る人ではありませんでした。それが、香港は生きにくいと、しばらく各国のレジデンシーに参加した後、今はイギリスに住んでいます。

その彼に台湾も香港のようになるかもしれないと言われ、お尻に火がつきました。早く行かないとまた撮影できるかもしれないような気がして来ました。大分前に香港で「日の丸の洗濯」を制作発表したのですが、今ではできないと思います。

それに、もう10年ぐらい前から上海で働いている仲の良い友人がいるのですが、いつか行こうかと思っているうちに、コロナになり、政治的にもどんどん難しそうになって来て、後悔しているところでした。

とにかく、呑気に助成金を申請したりしているうちにどんどん世の中が変わっていってしまうのではないかという危機感を覚えました。

後でよくよく考えてみると、香港と台湾は全然立場が違うし、そこまで慌てる必要もなかったようですが。また、台湾の方々も皆しっかりしていらして、「過去のことは、悪いのは上の人。今はやるべきことをして、坦々と日々を生きることが大事。ただ投票は必ずするべき」とおっしゃっていました。それでもまた日本に帰って来てニュースを見ていると不安になります。

とは言え、戦争は太古の昔からずっと続いていて、様々な思いは世代を超えて続いていくものではあります。日本人がお気楽に台湾は日本が好きだと思い込んでいますが、台湾の方にとって今重要なのはアメリカと中国で、一般の方はK-POPを楽しんでいて、日本の存在は過去のものになっています。それでも、日本が台湾にしたことは忘れられてはいませんし、日本に対する愛情がある方も差別をされ、その思いは複雑です。特に日本軍の原住民の扱いは、台湾が国のアイデンティティを確立していく上でも繰り返し語られています。

今までの戦争が過去のものとして「戦争記念館」に祭り上げられ、何かの形で振り返ることができる状況になることが、いわゆる平和な状態なのかもしれません。そして、人間はずっと戦争をして来たので、今の平和を大事にしないと、あっという間になくなることもあるのかもしれません。

イスラエルとパレスチナの方々が過去を忘れて話し合う方法はあるのでしょうか?作品を通して、過去の戦争の再考、美術館化を促し、多様な意見を持つ人々のコミュニケーションの方法を探りたいと考えました。

日章旗をコインランドリーで洗い、話しにくい過去の戦争のことを知らない方とちょっとでも話せることが「普通」である状態は、すごく平和であることなのかもしれません。この状態を大事にしたいと思います。

涙募集中!TEARS wanted! 

涙募集中!本気です。ご協力お願いしまーす!!!作品 <<涙で梅干しを作る>> のために、庭で採れた梅と涙で作ったお塩で梅干しを作ります。

TEARS wanted! I am dead serious. Please give us help (and your bodily fluids)! For our project, <<Making plum pickles with tears (work in progress)>> we need to make salt out of tears, and make pickles from plums from our garden. Any suggestions for the methods will be great, so far, onion is not working so much, and I don’t want to punch anybody.

>> more info

Quite difficult to collect large amount of tears…

The Tear Kit

塩 | Salt

The refreshment made by Kana Kimura with half a century pickes of my grand mother. 木村さんが祖母の50年ものの梅干しで作ったウェルカムドリンク。ローズマリー、桜の花のフレーク、麹などが入っています。今まで体験したことのない繊細でフレッシュな味でした。

On the occasion of the screenings of “The Desert Moon”, a work about Ebata’s father’s end-of-life care at the House of Ebata, Ebata’s grandparents’ home, a talk by Viktor Belozerov and a participatory performance with Kana Kimura and Mako Fukuda were organised.

In “Making plum pickles with teas”, we wanted to practise remembering the power of life and humour in the midst of mourning through the ritual of ‘eating together, crying together, making salt from the collected tears, and using the salt to dip new plum trees in the garden’ with half-century-old dried plums found in the barn at the House of Evata. We harvested the plums from the garden in June and are currently looking for a way to collect as much of the tears as possible.

We also had a talk “Anti-war vacation: life and death in art and politics of Russia” by a Russian researcher, Berzoerov, on contemporary art in Russia. Since the Ukraine Invasion, the world has become increasingly divided. From the ongoing division to the division with the past, the desire to forget the past and many other complexities. We were told that currently, interaction between researchers is also hindered. I think it is important for others with different ways of thinking to get to know each other better in order to coexist.

I am against war, violence, everything, but even asking a sick father to live can be violence. Violence is lurking in all of us. I hope that when we realise, when we have the chance, we can have just a little bit of courage and make choices that will reduce the number of people who suffer, even if just a little bit.

江幡の祖父母の家であるハウス・オブ・エバタで江幡の父の看取りをテーマにした作品『月の砂漠』のスクリーンニングを行うにあたり、ビクター・ベルゾエロフのトークと、木村佳奈と福田真子と参加型パフォーマンスを企画しました。


『涙で梅干しを作る』ではハウス・オブ・エバタの納屋で見つかった半世紀前の梅干を「みなで食べ、共に泣き、集めた涙で塩を生成し、新たに庭の木に成る梅の実をその塩でつける」という儀式を通して、弔いの中でも、生きる力やユーモアを忘れないことを実践したいと考えました。6月に庭の梅を収穫したので、現在涙をなるべく大量に集める方法を模索しています。


また、ロシア人の研究家のベルゾエロフにトーク<『反戦バケーション(ロシアのアートと政治における生と死の表現)』と題して、ロシアの現代美術についてご紹介いただきました。ウクライナ侵攻から、世界でますます分断が進んでいます。現在進行形の分断から、過去との分断、過去を忘れたいという願望、多くのことが複雑に絡まっています。現在、研究者同士の交流も妨げられているという話を聞きました。色々な考え方の他者同士が共存していくには、よりお互いを知ることは重要なことだと思います。

戦争、暴力、全てに反対ですが、病気の父に生きて欲しいと求めてしまうことでさえも暴力になり得ます。暴力が私たちの中にも潜んでいるのです。気づいた時に、チャンスがあったときに、ほんの少しだけ勇気を出して、苦しむ人がほんの少しだけでも減るような選択ができたら良いなと思います。

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2023年1月29日(日)13時〜19時

13-19 Sun 29 Jan 2022

House of Ebata, Tokyo

https://houseofebata.wixsite.com/info

houseofebata@gmail.com 

*House of Ebataへのアクセスにつきましてはお問合せいただきますようお願いいたします。Please ask the organiser for the access to House of Ebata directly.

Viktor Belozerov ビクター・ベルゾエロフ

Kyoko Ebata 江幡京子

Mako Fukuda 福田真子

Kana Kimura 木村佳奈

14:00-16:00 

トーク Talk “Anti-war vacation: life and death in art and politics of Russia”

Viktor Belozerov ビクター・ベルゾエロフ 

https://us02web.zoom.us/j/84505468122?pwd=c3ZaTDIvZHFiUE90emZuUDdXNzNuZz09

ミーティングID: 845 0546 8122  パスコード: 840298

ビクターさんとの対話は、ウクライナ侵攻が始まった時にビクターさんが日本のアーティストに『平和のための手紙』を書くように呼びかけたことから始まりました。誰かを愛するということは、いつかその人を失うことでもあるのでしょうか?そして、その人を守りたいから争いが起こるのでしょうか?先のことはよくわからないですが、今、より多くの人を愛し、互いの理解をより深める努力をしたいと思います。 

The dialogue with Viktor began when Russia invaded Ukraineand Viktor invited Japanese artists to write anti-war statements for a letter campaign called “Letters for Peace”. Does loving someone also mean that you will lose that person eventually? Do we start a fight to prevent the loved one from getting hurt? We don’t really know what the future holds, but we believe that now we can love more people and understand each other more.

*ビクターさんは国外からオンラインで参加になり、トークは英語で行われますが、日本語でのサマリーや通訳のサポートを行います/ The talk will be held in English. Language support for Japanese  will be provided on an as-needed basis.

*トークの記録 (02:38:29) the documentation (02:38:29)  https://youtube.com/live/fcljs8n4Kn8?feature=share

18:00 〜

涙で梅干しを作る Making plum pickles with teas 

Mako Fukuda 福田真子/ Kana Kimura 木村佳奈 With Kyoko Ebata 江幡京子

月の沙漠 | The Desert Moon

江幡京子 Kyoko Ebata

2020-2022 Digital Video

スクリーニング screening

*スクリーニングは予約制で2月末までご覧いただけます。open by appointment until the end of February.

* 詳細 more info

涙で梅干しを作る Making plum pickles with tears 

ハウス・オブ・エバタは江幡京子の祖父母の家でした。数年前に納屋で江幡の祖母が半世紀程前に作ったと思われる梅干が見つかりました。梅干しは古くから保存食や食薬品として親しまれてきました。保存食とは現在進行形の生きた記憶であり、それが引継がれる家の歴史でもあります。

今回、江幡の父の看取りをテーマにした作品『月の砂漠』のスクリーンニングを行うにあたり、木村佳奈と福田真子の提案で、わたしたちはこの梅干を「みなで食べ、共に泣き、強制的に集めた大量の涙で塩を生成し、新たに庭の木に成る梅の実をその塩でつける」という儀式を通して、弔いの中でも、生きる力やユーモアを忘れないことを実践したいと考えました。

『保存食品の食べ物を腐らせずに保存させようというアイデアそのものに「死への対抗」があります。長い間夢の中で死に抗いながら眠っていた梅干を体内に入れて目覚めさせることは、梅干しと私たちの時間軸をシンクロさせ、生と死を連続させる行為であると言えるでしょう。そしてその夢をわたしたちの涙でアクティベートさせ、塩に結晶化します』(木村佳奈)。

塩は生き物にとってなくてはならないと同時に、使いすぎると全ての生き物を殺すこともできます。その塩を操り、私たちの身体は今年もまた新しい実をつける梅の木に出会い、共に次の世代に受け継いで行きます。

*梅干は株式会社食品微生物センターに検査を依頼し、食用に問題ないとの結果が出ております。

House of Ebata was the home of Ebata’s grandparents. A few years ago, pickled plums that seemed to have been made by Ebata’s grandmother some half-century ago were found in the storage.
Dried plums have long been a popular preserved food and food medicine. Preserved food is an ongoing living memory and a family history that is passed on. In screenings for the film “The Desert Moon”, which is about Ebata’s father’s death-watch, with Kana Kimura and Mako Fukuda’s participation, we used the pickled plums in the ritual of “eating them together, crying together, making salt with a large quantity of forcibly collected tears, and using the salt to dip the newly grown plums in the garden tree”, so that even in mourning, we can practise not forgetting to find strength in life and a sense of humour.

“The idea of preserving food without allowing it to spoil is itself an attempt to ‘resist death’. Waking up the dried plums in our bodies, which have been sleeping for a long time in a dream, defying death, is an act of synchronising the dried plums with our time axis and making life and death in continuity. The dream is then activated by our tears and crystallised into salt. Salt is indispensable for living beings, but at the same time it can kill all living things, if we use too much of it. By using the salt, our bodies meet the plum tree, which bears new fruit again this year, and together we pass it on to the next generation.(Kana Kimura)”

*The pickled plums were tested by Food Microbiology Centre Inc. and found to be safe for human consumption.

Chopped onions and had traditional funeral soup with chili pepper to cry and made curry in the end!
玉ねぎと三重県のお葬式に伝わるとんがらし汁(辛さで泣くのだそうです)で泣いた後、泣くのに使った素材を使ってカレーを作りました。やさしい味のカレーでした。
https://houseofebata.wixsite.com/info
receipt: ume-boshi, malt, ginger, sakura flower flakes, rosemary and sparkling water
take aways

略歴|profile

ビクター・ベルゾエロフ| Viktor Belozerov

インディペンデント・リサーチャー。ロシア国立人文大学(モスクワ)美術史学部卒業。ロシアにおける現代日本文化の普及を目的とした教育プロジェクト「Gendai Eye」を立ち上げる。現在、日本研究室J100Rの主任研究員として、1920年代から現在までのロシアにおける日本の現代美術に関する思想を研究している。

Viktor Belozerov is an independent researcher. Graduated from the Art History Faculty of the Russian State University for the Humanities (Moscow). Created the educational project Gendai Eye, which aims to promote contemporary Japanese culture in Russia. Currently the lead researcher of the Japanese Laboratory J100R, which focuses on ideas about contemporary Japanese art in Russia from the 1920s to the present. 

江幡京子|Kyoko Ebata 

アーティスト。ゴールドスミス卒。日常で目にする様々な事柄をテーマにそこで生活する者の目線から時代を表現する。現在はプロジェクトスペースHouse of Ebataを運営しつつ、国内外で発表している。

Kyoko Ebata is an artist, graduated from Goldsmiths’ College. She expresses the times from the perspective of a person living in everyday life. Currently runs the project space House of Ebata, while exhibiting widely. http://kyokoebata.com

福田真子|Mako Fukuda 

ドイツ在住。ウェブマガジン「ヴァルナブルな人たち」、Zineイベント「ZINEFEST Leipzig」を運営。ライプツィヒのコミュニティスペース「日本の家」の活動に関与するなど、中間共同体に関心を持ち活動を続ける。

Lives and works in Germany. Runs the webzine ‘vulnerable people‘ and the Zine event ‘ZINEFEST Leipzig’. She pursues her interest and activities in intermediary communities, including involvement in the community space ‘Das Japanische Haus e. V.” in Leipzig. https://vvulnerablepeoplee.wixsite.com/website 

木村佳奈|Kana Kimura 

アイスランド芸術大学ファインアート学科卒業。 文化人類学的側面から、内外在な関係性の変遷を観察し制作する。一時性やそこで起こる力学的運動に注目し、プロジェクトやワークショップなどを試み「儀式的制作」と呼ぶ。ウェブマガジン「ヴァルナブルな人たち」を運営。

Kimura has graduated from Fine Art BA, Iceland University of the Arts. From a cultural anthropological perspective, the artist observes and produces the transition of internal and external relations. Focusing on transience and the dynamic movements that take place there, she attempts projects and workshops, which she calls ‘ritual production’. She run a web magazine “vulnerable peoplehttps://kanakimura.wixsite.com/kanakimura

月の沙漠 | The Desert Moon

『月の沙漠』は、江幡の家族をテーマにした現在進行形の作品シリーズ<<The Case of T&S>>の中で、江幡の父の看取りをテーマに自分が父を愛するが故に父を苦しめてしまったのではないかという罪の意識をテーマにした映像と付随する作品やワークショップやトークからなっています。

コロナ禍の中で病床が不足する中、指針が整備されないまま自宅での看取りが政府に推奨され、情報も少ない中で経験の少ない高齢の医者による江幡の父の看取りは患者本人にとって必要以上に辛いものだったのではないかと後悔する中、尊厳死も現実のものとして様々な報道がされ、それに加えて、多くの友人が住むヨーロッパにおけるウクライナ侵攻が始まりました。平和の中で生きていくこと、死ぬことの難しさと、戦争の中での命の軽さとの矛盾に戸惑いつつ、作品が制作されました。

『月の沙漠』の映像は江幡自身が実家で撮影した映像に加え、現在江幡が住む父の実家の古井戸を舞台に井戸を通して死者と語りかけるという民間伝説を参考にした映像を使っています。この家はプロジェクトスペース、ハウス・オブ・エバタとして使われています。作品の発表は、京都のモナド・コンテンポラリーとハウス・オブ・エバタで発表され、各会場に合わせて、新作が作られました。

ワークショップは参加者から涙を集める『塩』と、父が所有していた原発に関する60年代の古い本を花の形に切ってもらう『花』を開催しました。父の中学時代の日記と写真を題材にした作品『初恋』は、作品購入者が展示会場に控えている占い師にタロットカードで購入する作品を与えられます。

『塩』では父の死からしばらく経つのにまだ涙の止まらない自分の弱さ、社会において「死」をタブー視しすぎることから生まれる話し合いの少なさによって生じる様々な社会問題を念頭に弔いの過程をユーモアに転換しています。なるべく効率的に多くの涙を集め、それを塩に変え、家の庭の梅の木になる実で梅干を作る目標を立て、木村佳奈さんと福田真子さんと共にフードイベントを開催しました。2023年6月現在梅を収穫し、現在涙を絶賛募集中です。

また、展示に合わせ、ロシア人の研究者ビクター・ベルゾエロフさんをお迎えして現在のロシアのアートについてトークをしていただきました。世の中で分断が進む中、平和は人間にとってまだ新しい存在で、私たちは平和の中でどのように生きていくか学んでいる最中であると思い知らされることは多々ありますが、それでも自由がなくなる状態、戦争で人を殺して生きていく状態には戻ることは想像を絶します。ほんの少しでも、自分と違う立場にいる人の話を聞いていくことはとても大事なことだと感じています。

“The Desert Moon”, is a part of <The Case of T&S>, an ongoing series of works on the theme of Ebata’s family, which focuses on the end-of-life care of Ebata’s father and her guilt that she may have caused him more pain because of her love for him, accompanying by related works, workshops and talks.

With the shortage of hospital beds amidst the Corona disaster, the government recommended end-of-life care at home without guidelines in place, and with little information available, the end-of-life care of Ebata’s father by an elderly doctor with little experience may have been more painful than necessary for the patient himself. Death with dignity was also reported in various media reports as a real possibility. On top of these issues, the invasion of Ukraine in Europe, where many of her friends live, began. The video work was produced in a bewildering contradiction between the difficulties of living and dying in peace and the lightness of life in the midst of war.

The video footage for ” The Desert Moon” was filmed at Ebata’s own parents’ house, as well as at an old well in his father’s family home, where Ebata now lives, referencing a folk legend about talking to the dead through the well. The Ebata’s house is used as a project space, House of Ebata. The work was presented at Monad Contemporary in Kyoto and at the House of Ebata, with new works created for each venue.

The workshops consisted of ‘Salt’, which collected tears from participants, and ‘Flowers’, in which participants were asked to cut an old book from the 1960s about nuclear power plants that belonged to their father into the shape of a flower. In ‘First Love’, a work based on my father’s junior high school diary and photographs, the purchaser of the work is given a tarot card by a fortune teller attending the exhibition venue to purchase the work.

In ‘Salt’, the process of mourning is transformed into humour, bearing in mind the weakness of the artist, who still cannot stop crying even though it has been some time since his father’s death, and the various social problems caused by the lack of discussion that arises from the over-taboo treatment of ‘death’ in society. I set myself the goal of collecting as many tears as efficiently as possible, turning them into salt and making pickled plums from the fruit of the plum tree in my garden. Together with Kana Kimura and Mako Fukuda, we organised a food event: as of June 2023, we have harvested the plums and are currently in the process of collecting more tears.

To accompany the exhibition, we also invited Russian researcher Viktor Berzoerov to give a talk on current Russian art. As the world becomes increasingly divided, we are often reminded that peace is still a new existence for human beings and we are still learning how to live in peace, but it is hard to imagine returning to a state where we will no longer have freedom and where we will live by killing people in war. I feel it is very important to listen to people who are in a different position to us, even if only a little.


“While watching, I had a kind of mixed feelings. I saw a woman who was suffered and lost by her father’s death. She tried to cope with the suffer by going down into a deep dark well to realise her recent past.

The footages of her parents show many emotions: dramatic pain of her ill father, love between wife and husband, love between father and daughter, and the feeling of letting someone go.

You ended the work in a nice way: telling your deceased father (including your audiences) about current relationship between you and your mother. Finally, you ended your performance by saying “See you” to your dad, which made me think that this is an on-going process of the artist who is still coping with the death of her father.”

Toeingam Guptabutra, Silpakorn University


江幡京子展

月の沙漠 | The Desert Moon

Kyoko Ebata

2022年12月17日(土)〜1月日8日(日)14~19時 

レセプション 12月17日(土)19時〜

monade contemporary | 単子現代

〒605-0829 京都府京都市東山区月見町10-2 八坂ビル地下1階 奥左入ル 2号室

Sat 17 Dec 2022 – Sun 8 Jan 2023

Reception 19:00 19 Sat 17 Dec

monade contemporary | 単子現代

Room 2, B1F Yasaka Bldg, 10-2 Tsukimi-cho, Higashiyama-ku, Kyoto, 605-0829

https://monadecontemporary.art-phil.com

月の沙漠 | The Desert Moon

ある日、母からメールが来ました。父の下の顎に癌が見つかり、手術をしないことに決めたそうでした。父は22年間脳出血の後遺症を患って闘病生活を送っていたので、わたしも反対しませんでした。それからいつの間にか父は自宅で看取られることになりました。父の癌はどんどん進行し、お医者さんによると余命二週間で、痰が喉に詰り癌で死ぬ前に窒息死する恐れもあるとのことでした。そこでわたしはしばらく実家に帰ることにしました。

肺の奥までチューブを入れる痰の吸引は毎日2回2ヶ月近く続き、父は地獄のような日々を送りました。母とわたしはそれをじっと見ていました。看取りのことを何も知らなかったわたしたちは父に2回お別れをしました。それからまた数週間して、父は黒い便をしました。亡くなる前に人間の体は汚物を全て外に出すそうです。それは真っ黒な液体でした。3回目に父は本当に亡くなりました。

今思い返すと、わたしが父のそばにいることで、悪戯に父の苦しむ時間を伸ばした気がします。父が亡くなる瞬間を見ないといけないと思い込み、つきっきりで看病してどんどん判断力が鈍って行きました。ほんの100年前なら、情けを掛けてあげるのが筋だったはずです。そして、多分それをしなければならないのは長女のわたしだったはずです。愛情は暴力でもあります。わたしたちは本当に父が大好きでした。

One day, I received an email from my mother. She told me that cancer had been found in my father’s lower jaw and they had decided not to operate. I didn’t object, as my father had been suffering from the aftereffects of a brain haemorrhage for 22 years and had been battling with the disease. Before I knew it, they decided to take care of my father at home. His cancer was progressing rapidly and the doctors said he only had two weeks to live, and that he might choke to death before dying of cancer from phlegm in his throat. So I decided to stay at my parents’ flat for a while.

The suctioning of phlegm, which involves inserting a tube deep into the lungs, continued twice daily for nearly two months, and my father lived in hell. My mother and I could not do anything but watch him. We didn’t know anything about end-of-life care, so we said goodbye to him twice. A few weeks later, he had a black stool. Apparently, before dying, the human body has to expel all the filth out of it. It was black liquid. On the third time, my father really passed away.

Looking back, I feel that by being there for my father, I prolonged the time he spent suffering without realising it. I felt I had to watch him die, and my judgement became more and more impaired as I nursed him without beaks. Just a hundred years ago, it would have made sense to show him mercy. And perhaps it was I, the eldest daughter, who had to do it. Love is also violence. We really loved our father.

Kyoko Ebata

〈展覧会情報〉

monade contemporary | 単子現代では、アーティスト江幡京子による「月の沙漠 | The Desert Moon」を開催します。

江幡はこれまで、世界各国で開催した高齢者の自宅室内の写真シリーズの展覧会、東チモールの若者に向けた写真ワークショップなどを行うなかで、人々の生と死をめぐる孤独と暴力に向き合ってきました。また最近では、自宅を他者との共同生活、作品制作における協働のスペースとする住み開きのプロセスを公開しながら、国家、地域、個人、そして自然とのかかわりのなかで生と死、あるいは新しい生存や生活のためのコミュニティのあり方を模索してきました。

近年、江幡は自身が撮影した父の看取りの録画を振り返りながら、父や家族とのかかわり、人の生死のあり方に目を向けた物語をショート・フィルムとして制作しています。本展は、江幡自身の父を失った悲しみを乗り越えるプロセスを観客と分かち合い、父や家族、生と死、そして今後の世界に向き合う喪の機会となることでしょう。愛は死と出合うときどのように暴力へと転化し、死とともに愛はどのように記憶を生かすことになるのでしょうか。喪失という契機から起こる、愛と暴力の叙情詩にご参加ください。

〈Exhibition Information〉

monade contemporary | 単子現代 is honoured to present The Desert Moon by artist Kyoko Ebata.

Kyoko Ebata has explored the loneliness and violence surrounding people’s lives and deaths through exhibitions of her photographs taken inside the homes of elderly people in various countries around the world, as well as photography workshops for young people in East Timor. More recently, she has been engaged in the process of opening her home to the public as a space for living with others and collaborating in the production of artworks, while searching for a new mode of life and death or community for survival and living in relation to the nation, region, individual, and nature.

In recent years, while reflecting on the video recordings of her father’s end-of-life care, Ebata has been creating short films that tell stories focusing on her father, experiences with family, and the nature of human life and death. The exhibition will be an opportunity for Ebata to share with the audience the process of overcoming the grief of losing her father and time of mourning to reexamine her lost father and family, life and death, then the world that comes in the future. How does love turn into violence as it meets death, and how does love keep memory alive along with death? Please join us for lyrical poetry in the moment of loss that wavers between love and violence.

<作品リスト| The Price List>

月の沙漠|The Desert Moon 2020-2022 ビデオ video

井戸鉤 Well Hook 制作年不明(形見)鉄 ion object

灰ならし Ashing 制作年不明(形見)鉄 ion object

花 Flower 2022-23 本、糸 book and strings

参加型インスタレーション (納屋から父の原発に関する古い本が出て来ました。あれだけ情報があったのに、福島の原発事故を起こしてしまったことは衝撃です。わたしたちはいつになったら学ぶのでしょうか?ギャラリーに訪れた方に本の好きなページを花の形に切り抜いていただいて、花の飾りを作ります)

Participatory installation. My father’s old books on nuclear power plants came out of the storage barn. It is shocking that after all the information we had, we managed Fukushima nuclear accident to happen. When will we learn? Visitors to the gallery are invited to cut out their favourite page from the book in the shape of a flower to create a floral ornament that looks like a condolence offering.

Garden 2022 チョーク*窓の外の中庭にあります。

*窓から外に出ることが可能です。ハシゴを上がる時、必ず井戸鉤が引っかかるので、お気をつけ下さい。

初恋 First Love 父の古い写真、日記から引用したテキスト

*作品購入希望者の方にはタロットカード(大アルカナ)を引いていただいて、引いたタロットカードに関連する作品を購入することになります。それに合わせてギャラリーカフェのオーナーの占い師、みずうみさんがタロット占いをして下さいます。

* To purchase a work on display about my father’s first love, you will be asked to draw a tarot card from a pack of major arcana and the card is corresponding to a work. Then Mizumi-san, the cafe owner of the gallery/a professional tarot-reader will give you a reading alongside minor arcana cards. 

The gallery is situated in the middle of Gion, the most exclusive geisha district in Japan. A cathouse is the neighbour of the gallery. The 1000 years of history of men and women astonished me. I couldn’t dare add any more words to the space. 

So I decided to change the plan of installation and chose the texts from my father’s diary (Sorry, Dad. You were too cute!) about his affection towards a young girl when he was 15 years old. He only spoke to her 3 times in the year.

I know it is impossible but even in the hardest time of our life, trying to keep love in your heart is important. And simple words like these are very important in a place like this.

写真 Photos 制作年不明  

1. 女帝|The Empress(キッチンの横の壁 上)

2. 力|Strength(キッチンの横の壁 中左)

3. 吊られた男|The Hanged Man(キッチンの横の壁 中右)

4. 恋人|The Lovers (キッチンの横の壁 下)

5. 月|The Moon(キッチン正面 左中)

6. 隠者|The Hermit(キッチン正面 右上)

7. 世界|The World(キッチン正面 右下右)

8. 運命の輪|Wheel of Fortune(キッチン正面 右下左)

9. 節制|The Temperance(キッチン正面 給湯器 上)

10. 死神|The Death(キッチン正面手前灰ならしの右)

テキスト Texts 1958年/2022年   

i. 1) 戦車|The Chariot(キッチン正面 左上左)

ii. 2) 愚者|The Fool(キッチン正面 左上右)

iii. 3) 女教皇|The High Priestess(キッチン正面 左中右)

iv. 4) 皇帝|The Emperor(キッチン正面 左下左)

v. 6) 悪魔|The Devil(キッチン正面 左下右)

vi. 5) 法王|The Hierophant(キッチン正面 右上左)

vii. 8) 星|The Star(キッチン正面 右中右)

viii. 11) 正義|Justice(キッチン正面 右中左)

ix. 10) 太陽|The Sun(キッチン正面 給湯器 中)

x. 9)  塔|The Tower(キッチン正面 給湯器 下)

xi. 7) 魔術師|The Magician(キッチン正面手前グラスラック)

xii. 12) 審判|Judgment(キッチン正面手前灰ならしの右)*大晦日に開けてください。

テキストは父が中学3年生から高校1年生の頃に書いた日記より抜粋したものです。この頃父は近所に住む年下の少女に恋をしていたようです。

1) 戦車

1月14日火曜 雨

恋の美しさというものを知った

又悲しさも

滝さんぼくは君が好きだ

一番好きだ

ぼくが君を好きになるのは自由だ

おれは勉強して強くなるぞ

えらくなるぞ

滝さん見てて下さい

2) 愚者

1月17日金曜 晴

ぼくは滝さんが好きだ

好きなものは好きだ

不良かもしれない

3) 女教皇

2月17日月曜日 晴

治子様

人間、苦労をしなければ立派な人間になれないと言われています

では苦労して立派な人間とはどんな人なのでしょうか

自分は度量しても立派な人間に慣れないのではないでしょうか

自分の生きていく道は自分で切り開いていかねばならないのです

自分の一生の計画を通すためには困難があるのです

そのまずはじめが今度の入試です

でも、まだこんなのは序の口です

4) 皇帝

2月19日水曜 うす曇

治子さん

私は今日二時間目から五時間目までの授業をさぼってしまいました

先生に捕まりお説教されました

勉強できる人が偉い人なのでしょうか

確かに勉強できなくてはだめです

しかし、そうばかりではない気がします

おやすみなさい

私の大好きな治子様

5) 法王

2月17日月曜日 晴

治子様

人間、苦労をしなければ立派な人間になれないと言われています

では苦労して立派な人間とはどんな人なのでしょうか

自分は努力しても立派な人間になれないのではないでしょうか

自分の生きていく道は 自分で切り開いていかねばならないのです

自分の一生の計画を通すためには

困難があるのです

そのまずはじめが今度の入試です

でも、まだこんなのは序の口です

6) 悪魔

3月5日水曜 晴

治子さん

本当のことを言いますと

今まで私の心の中の三分は

私のクラスの見矢木と言う人に奪われていました

しかし今日から治子さんが九分通り支配します

と言うのは

治子さんと話す機会が全然ありませんですので

ともすると色々な人が顔を出すのです

しかし全て治子さんのことで満たされるのも間近かと思っております

7) 魔術師

5月6日火曜

何もなかった(というのはうそだ)

8) 星

8月18日 月曜 晴

アメリカが月に向けてロケットを打ち上げた。

滝さん

9)  塔

8月24日

八王子において試合があった

あらよ

と負けてしまった

10) 太陽

8月27日水 晴

なんて気持ちが良い天気なんだろう

空の色、木の葉の間からさしこむ太陽の光、

それぞれに思い出がある。

小さい頃の記憶が蘇ってくる。

11) 正義

10月8日 水曜 晴

青木、てめえ、しっかりしろ

おれだって何も滝さんがどうっていうんじゃねえんだ

好きなことは好きなんだが、

昔を想い出しても、この方三年というもの口を聞いたのは唯一三回

てめえなんぞは一年間ツラをおがんでいたんじゃねえか

その間にもっとひきつけとかねえのがいけねえんだ。

だが、今少し待ってろ。

12) 審判

12月31日水曜

年越しイベントの時に開いてみてください。

アルコール Alcohol

上善如水 

みずのごとしの名前の通り、あらゆるものと調和して、するりと喉の奥へと落ちる。シンプルで清らかなお酒です。

『父の好きだったお酒です』(作家談)

サンピースウイスキー 

「サンピースウイスキー」は弘化3年(1846年)創業の宮崎本店が製造しています。戦後になって発売され、太陽の下で平和を謳歌できる喜びと願いを込め「サンピース」と名付けられました。輸入したモルトウイスキーとグレーンウイスキー、スピリッツをブレンドし、宮崎本店の酒造りに欠かせない地下150mから汲み上げる鈴鹿山系の超軟水の伏流水を使用しています。同社はホッピーとのセットでお馴染みの「亀甲宮焼酎」、通称「キンミヤ焼酎」を製造しています。従価税表記時代(1989年以前)には二級ウイスキーだったのではないかと思われます。マイナーチェンジはしていますが、その当時の日本の地ウイスキーの味を体感できるウイスキーではないかと言われています。

『日本のウィスキーらしい味がします。後味が悪いウィスキーです。何時間もひきます』(作家談)

ハーブティー  Heval Tea

ラブ  

リバイタライズ 

レモンジンジャー&マヌカハニー 

カモミール   

日本茶 Japanese Tea

ほうじ茶  

お茶うけ Sweets

服部製糖所 藍玉   

<タイトルの背景|The back ground of the title>

タイトルの『月の沙漠』は作詞:加藤まさを、作曲:佐々木すぐるによる日本の童謡から引用しました。父が亡くなった後、実家の洗面所の鏡にこの歌の歌詞が張ってありました。父が亡くなってから、母は一時お歌の先生のところにお稽古に行っていました。父を看病していた時、私が母に歌を歌ったらどうかと提案した時に、彼女の中から歌が出てこなかったことがあり、それでお稽古に通っていたのではないかと思いました。歌詞は「王子様とお姫様が駱駝に乗って沙漠をとぼとぼと行く」というもので、父の闘病が始まってからの二人の20年間を思い起こしました。

歌詞を書いた加藤まさをは大正から昭和初期に叙情的な挿絵画家として活躍したそうで、その後1927年にラジオ放送され、1932年に柳井はるみの歌唱で録音・レコード化され、童謡として広まったそうです。曲のタイトルは「砂漠」ではなく「沙漠」となっていて、曲の歌詞が千葉県の御宿海岸をモチーフとしており、乾いた砂ではなく、水分を含んだ海岸の砂であることを表現しているそうです。

また、王子と姫が二人だけで旅をしていたら、たちまちベドウィンに略奪される。砂漠で月が「朧にけぶる」のは、猛烈な砂嵐が静まりかけるときぐらいに限られる。などという歌詞に対する批判もあったようで、砂漠を見たことのないロマンチックな日本人が作った歌詞が、死の世界を知らないで想像している自分に重なりました。更に英語でDeart Moonを検索すると、また両親を思い起こさせる80年代の曲にあたり作品のタイトルが決まりました。

月の沙漠

月の沙漠を はるばると

旅の駱駝がゆきました

金と銀との鞍(くら)置いて

二つならんでゆきました

金の鞍には銀の甕(かめ)

銀の鞍には金の甕

二つの甕は それぞれに

紐(ひも)で結んでありました

さきの鞍には王子様

あとの鞍にはお姫様

乗った二人は おそろいの

白い上着を着てました

曠(ひろ)い沙漠をひとすじに

二人はどこへゆくのでしょう

朧(おぼろ)にけぶる月の夜(よ)を

対(つい)の駱駝はとぼとぼと

砂丘を越えて行(ゆ)きました

黙って越えて行きました

Desert Moon by Dennis DeYoung

“Is this the train to Desert Moon?” was all she said

But I knew I’d heard that stranger’s voice before

I turned to look into her eyes, but she moved away

She was standing in the rain

Trying hard to speak my name

They say first love never runs dry

The waiter poured our memories into tiny cups

We stumbled over words we longed to hear

We talked about the dreams we’d lost, or given up

When a whistle cut the night

And shook silence from our lives

As the last train rolled towards the dune

Those summer nights when we were young

We bragged of things we’d never done

We were dreamers, only dreamers

And in our haste to grow too soon

We left our innocence on Desert Moon

We were dreamers, only dreamers

On Desert Moon, on Desert Moon

On Desert Moon, Desert Moon

I still can hear the whisper of the summer night

It echoes in the corners of my heart

The night we stood and waited for the desert train

All the words we meant to say

All the chances swept away

Still remain on the road to the dune

Those summer nights when we were young

We bragged of things we’d never done

We were dreamers, only dreamers

Moments pass, and time moves on

But dreams remain for just as long

As there’s dreamers, all the dreamers

On Desert Moon, on Desert Moon

On Desert Moon, Desert Moon

クレジット

江幡定夫
江幡照子
江幡京子

撮影
江幡京子
山田沙奈恵

編集
山田沙奈恵
江幡京子

字幕 池端規恵子/木村佳奈 /鈴木愛 /エレア・ヒンメルスバッハ

協力
F.アツミ
アビ
浅野智明
井出竜郎
宇多村英恵
大久保あり
大槻英世
岡本大河
後藤克史
鈴木愛
さくまはな
西村慎太郎
ジョン・L・トラン
ティム・バーンズ
株式会社 明研

父の看取りに関わって下さった全ての方々にお礼を申し上げます。

江幡京子

Credit

Sadao Ebata
Teruko Ebata
Kyoko Ebata

Camera
Kyoko Ebata
Sanae Yamada

Editor
Sanae Yamda
Kyoko Ebata

Subtitles Kieko Ikehata/ Elea Himmelsbach/ Kana Kimura/ Ai Suzuki

With
F. Atsumi
Abi
Tomoaki Asano
Tim Byrnes
Tatsuro Ide
Shintaro Nishimura
Katsushi Goto
Taiga Okamoto
Hideyo Ohtsuki
Ari Okubo
Hana Sakuma
Ai Suzuki
John L Tran
Hanae Utamura
Meiken Inc.

I would like to express my sincere gratitude to all the people for being by our side all through these challenging days and ensuring that we could say our goodbyes. Thank you so much.

Kyoko Ebata

作者、江幡の父親は脳出血の後遺症を抱えて22年間の闘病生活を送った末に、77歳で進行癌で亡くなった。癌が見つかった時、既に左半身麻痺の障害を持って生きて来た上に、更に下顎を全て削り出す手術はあまりにも過酷で江幡の両親は手術を拒否した。

コロナ禍の中、病床が足りない時期に手術をしない決断をしたため、入院することができず、自宅で看取ることになった。下顎癌だったため、気管がどんどん狭まり、そこに詰まる痰で窒息死を防ぐため毎日チューブで肺から痰を吸い出さなければならず、これが大きな痛みをともない、二ヶ月間苦しみ続けた。

看取りに関する情報の少なさに、看病する側も彼の死の瞬間に別れを言わなければならないと思い込み、昼も夜も隣につきっきりになりながら、正常な判断ができなくなっていった。苦しんでいる人を助けてあげられない苦しみ、自分の手に相手の生死が任されるという恐怖を味わいながら、人が死んでいく姿を見つめ、二度お別れをした。そして、三度目に彼は本当に亡くなった。

家族の彼に生きて欲しいという愛情はある意味暴力でもあり、本人はすぐにでも死にたかったであろうが、家族への愛情のために苦しみを耐えたとも言える。他にもっと彼を楽にさせてあげる方法があったのではと、誰もが感じるであろう後悔の中、コロナ禍の中で政府が推奨し始めていた「看取り」は、核家族化した現代社会においては、近代前の大家族で迎える畳の上での大往生とは全く違うものであった。より多くの知識と監査体制が必要であると感じ、なるべく早く多くの人々に見てもらおうと作品を制作する中、ウクライナ侵攻が勃発した。

戦争であれば、死にたくない人を殺すのはやむを得ない事だと見なす人が現実が存在する中、平和な社会では死にたいと思っている人は死ぬ権利がない。この矛盾にどのように向き合えば良いのだろうか。尊厳死が答えなのだろうか?近代を経て、私たちはより幸せになったのだろうか?長い間、宗教がになってきた領域を私たちは個人として受け止めることができるのであろうか?死やそれにまつわる関係性にまつわる物語は難しく、ともするとそれに囚われて人生を生きることができなくなってしまうものだ。しかしこの問題に蓋をし続けて行けば行くほど、人はますます孤独になっていくであろう。

父親の看取りは、江幡にとって長い間ほとんど対話をして来なかった母親と対峙する機会でもあった。母親の父に対する複雑で深い愛情を発見し、庇護者である父を亡くした母親が、老いとともに娘が庇護者となっていくことを少しずつ受け止める現実に戸惑いつつも、自分自身にも少しづつ老いが忍び寄っているのを感じつつ、毎日の生活を振り返り再解釈を繰り返しているとも言えるだろう。

この家族にまつわる物語、『月の沙漠』は、江幡が長年にわたって、家族とカメラを通して向かい制作してきたシリーズの一環で、制作は現在も続いている。最初は高齢者の部屋のシリーズ『ジャムの瓶詰め小屋』の一作品として匿名性を伴って発表されていたものが、徐々に直接自分の家族の物語として発表するようになり、更に新たなナラティブを与え、関連した作品や企画を通して、より普遍的な物語に発展している。これは、江幡の家族の物語であるとともに、江幡自身の物語でもある。

The artist, Ebata’s father, died of advanced cancer at the age of 77, after a 22-year battle with the aftereffects of a cerebral haemorrhage. When the cancer was discovered, Ebata’s parents refused to have the operation because it would have been too harsh to remove the entire lower jaw, in addition to the fact that he was already living with a paralysed left side of his body.
Because they made the decision not to operate at a time when there were not enough hospital beds amidst the coronary disaster, he could not be hospitalised and had to be cared for at home. As he had cancer of the mandible, his trachea became narrower and narrower, and to prevent him from suffocating to death from the phlegm that clogged it, a tube had to be inserted into his lungs every day to suck out the phlegm, which caused him great pain and he suffered for two months.
The paucity of information on end-of-life care led the nursing artist herself to believe that she had to say goodbye to her father at the moment of his death, and she lost the ability to make the proper decisions as she stayed next to him day and night. His family experienced the pain of not being able to help someone who was suffering, and the terror of a person’s life or death being placed in their own hands. Then they watched him die and said goodbye to him twice. And the third time he really died.
The family’s love for him, wanting him to live, was in a way violent. He would have wanted to die immediately, but he endured the suffering for the love of his family. We felt the regret that anyone would have felt, that there were other ways to make him feel better. At that time, the Corona disaster was becoming more serious and the government was beginning to recommend ‘end-of-life care’. However, in today’s society of nuclear families, it was completely different from the great deaths on tatami mats that were celebrated in large pre-modern families. Ebata felt that more knowledge and an auditing system were needed and decided to show the work to as many people as possible as soon as possible. In the meantime, The invasion of Ukraine broke out.
In peace a person who wants to die does not have the right to die, while in war there are real people who see it as unavoidable to kill those who do not want to die. How can we face this contradiction? Is a death with dignity the answer? Have we become happier through modernity? Can we as individuals accept the territory that religion has long become? Stories about death and the relationships that surround it are difficult to tell, and sometimes we get so caught up in them that we lose the ability to live our lives. But the longer we keep a lid on these issues, the more alone we will become.
The end-of-life care of her father is also an opportunity for Ebata to confront her mother, with whom she has hardly interacted for a long time. She discovers her mother’s complex and deep love for her father, and is perplexed by the reality that her mother, who has lost her protector father, gradually accepts that her daughter is becoming her protector as she grows older. At the same time, she reflects and reinterprets her daily life, feeling that old age is slowly creeping up on her as well.
This family story, “The Desert Moon”, is part of a series that Ebata has been working on for many years, facing her family through her camera, and the work continues today. What was initially expressed indirectly as part of “The Game Keeper’s Jam Cellar”, series of elderly people’s rooms, gradually began to be presented directly as the story of her own family, giving it further new narratives, and developing into a more universal story through related works and projects. This is the story of Ebata’s family as well as Ebata’s own story.

Myanmar @House of Ebata

Burmese women artists are staying with us.ミャンマー人の作家さん達が泊まって下さってます。勇敢でエネルギーに満ち、光り輝くような美しさを持った方々で、毎日沢山の力をいただいてます。オンゴーイングでの展示は26日(日)までだそうです!The show at Ongoing is until Sunday. They are so brave, beautiful and full of energy! I am totally in love with them. We talked so much about the strange world we live in. Incredible experience. Thank you so much for staying with us😍

https://www.ongoing.jp/exhibition/?fbclid=IwAR15Drqwtbh0TwgVK7mv0nEXlk4ne-ucilRr8_EhXpPjsEBfy13Fnie81Bc

„alter|n|ative“ IG Bildende Kunst, Vienna

„alter|n|ative“
at IG Bildende Kunst (https://igbildendekunst.at/),

Crisfor (AT), Barbara Eichhorn (AT), Kyoko Ebata (JP), Mario Höber (AT), Urban Nomad Mixes (AT), Angelika Kaufmann (AT), Hanna Schimek/Ula Schneider/Andrea van der Straeten (AT)

The opening will be 9th of June, the show runs until 29th of September.

Breast milk and shit, Kyoko Ebata and Hanae Utamura

When a human being is born, the first thing they do is look for their mother’s white breast milk. When we die, we expel black stool from our bodies to cleanse our bodies before we breathe our last. For humans, the time towards the end of life may be the process of returning to the mother’s body.

Recently, Hanae Utamura became a mother and Kyoko Ebata has lost her father.

For two months, Ebata stared at her father, who was only suffering in living hell even though he was definitely on his way to death. In ancient times, she would have had to kill him to stop the suffering of her beloved father, but because she loved him, she wanted him to be there, and she just kept shedding tears.

When Ebata’s father was in very pain, he said “mom”. She was not sure if he was referring to his mother or his wife, but she, who had never been a mother, was shaken by the idea of a mother, and now, confronting her own mother, with whom she had been at odds for a long time. She feels a strange sense of change in their relationship, frightened of her mother’s death, frightened of being alone, and trying to rebuild connections with others.

Alongside Utamura’s own mother is supporting her father, she who has become a “mother” experiences pure love, pleasure and pain for her child, and struggles with the codependency of pain and healing, in which she devotes herself to the other person and supports the other person’s body, while being thrown around by the contradictions of modern society, which continues to polarize, repeat, and self-propagate the individual.

The beginning of life and the experience of death, which a person experiences once in a lifetime, is a world that has no memory and can only be perceived from the outside. While there must be countless stories, it seems that there are very few opportunities to talk about this today.

In the field of life and death, there are families and people who care for them. With the development of science and medicine, humans seem to be becoming more and more free, and the choices we have seem to be getting more and more confusing. And with the overflow of information, we seem to be more and more divided.

The United Nations issued a report on “human security,” reporting that although humanity has become economically prosperous, six out of seven people are insecure. And in the midst of the corona disaster, war has started again. What was it that we had built up?

Ebata and Utamura, now living in Japan and the US, are at a turning point in their lives. They make works about these issues while deepening their dialogues, examining the history of societies and countries from personal family relationships, reviewing the values and knowledge systems that modernization has promoted, and trying to rethink what the heck it means to live as human beings on this earth.