
江幡京子展
月の沙漠 | The Desert Moon
Kyoko Ebata
2022年12月17日(土)〜1月日8日(日)14~19時
レセプション 12月17日(土)19時〜
monade contemporary | 単子現代
〒605-0829 京都府京都市東山区月見町10-2 八坂ビル地下1階 奥左入ル 2号室
Sat 17 Dec 2022 – Sun 8 Jan 2023
Reception 19:00 19 Sat 17 Dec
monade contemporary | 単子現代
Room 2, B1F Yasaka Bldg, 10-2 Tsukimi-cho, Higashiyama-ku, Kyoto, 605-0829
https://monadecontemporary.art-phil.com
月の沙漠 | The Desert Moon
ある日、母からメールが来ました。父の下の顎に癌が見つかり、手術をしないことに決めたそうでした。父は22年間脳出血の後遺症を患って闘病生活を送っていたので、わたしも反対しませんでした。それからいつの間にか父は自宅で看取られることになりました。父の癌はどんどん進行し、お医者さんによると余命二週間で、痰が喉に詰り癌で死ぬ前に窒息死する恐れもあるとのことでした。そこでわたしはしばらく実家に帰ることにしました。
肺の奥までチューブを入れる痰の吸引は毎日2回2ヶ月近く続き、父は地獄のような日々を送りました。母とわたしはそれをじっと見ていました。看取りのことを何も知らなかったわたしたちは父に2回お別れをしました。それからまた数週間して、父は黒い便をしました。亡くなる前に人間の体は汚物を全て外に出すそうです。それは真っ黒な液体でした。3回目に父は本当に亡くなりました。
今思い返すと、わたしが父のそばにいることで、悪戯に父の苦しむ時間を伸ばした気がします。父が亡くなる瞬間を見ないといけないと思い込み、つきっきりで看病してどんどん判断力が鈍って行きました。ほんの100年前なら、情けを掛けてあげるのが筋だったはずです。そして、多分それをしなければならないのは長女のわたしだったはずです。愛情は暴力でもあります。わたしたちは本当に父が大好きでした。
One day, I received an email from my mother. She told me that cancer had been found in my father’s lower jaw and they had decided not to operate. I didn’t object, as my father had been suffering from the aftereffects of a brain haemorrhage for 22 years and had been battling with the disease. Before I knew it, they decided to take care of my father at home. His cancer was progressing rapidly and the doctors said he only had two weeks to live, and that he might choke to death before dying of cancer from phlegm in his throat. So I decided to stay at my parents’ flat for a while.
The suctioning of phlegm, which involves inserting a tube deep into the lungs, continued twice daily for nearly two months, and my father lived in hell. My mother and I could not do anything but watch him. We didn’t know anything about end-of-life care, so we said goodbye to him twice. A few weeks later, he had a black stool. Apparently, before dying, the human body has to expel all the filth out of it. It was black liquid. On the third time, my father really passed away.
Looking back, I feel that by being there for my father, I prolonged the time he spent suffering without realising it. I felt I had to watch him die, and my judgement became more and more impaired as I nursed him without beaks. Just a hundred years ago, it would have made sense to show him mercy. And perhaps it was I, the eldest daughter, who had to do it. Love is also violence. We really loved our father.
Kyoko Ebata
〈展覧会情報〉
monade contemporary | 単子現代では、アーティスト江幡京子による「月の沙漠 | The Desert Moon」を開催します。
江幡はこれまで、世界各国で開催した高齢者の自宅室内の写真シリーズの展覧会、東チモールの若者に向けた写真ワークショップなどを行うなかで、人々の生と死をめぐる孤独と暴力に向き合ってきました。また最近では、自宅を他者との共同生活、作品制作における協働のスペースとする住み開きのプロセスを公開しながら、国家、地域、個人、そして自然とのかかわりのなかで生と死、あるいは新しい生存や生活のためのコミュニティのあり方を模索してきました。
近年、江幡は自身が撮影した父の看取りの録画を振り返りながら、父や家族とのかかわり、人の生死のあり方に目を向けた物語をショート・フィルムとして制作しています。本展は、江幡自身の父を失った悲しみを乗り越えるプロセスを観客と分かち合い、父や家族、生と死、そして今後の世界に向き合う喪の機会となることでしょう。愛は死と出合うときどのように暴力へと転化し、死とともに愛はどのように記憶を生かすことになるのでしょうか。喪失という契機から起こる、愛と暴力の叙情詩にご参加ください。
〈Exhibition Information〉
monade contemporary | 単子現代 is honoured to present The Desert Moon by artist Kyoko Ebata.
Kyoko Ebata has explored the loneliness and violence surrounding people’s lives and deaths through exhibitions of her photographs taken inside the homes of elderly people in various countries around the world, as well as photography workshops for young people in East Timor. More recently, she has been engaged in the process of opening her home to the public as a space for living with others and collaborating in the production of artworks, while searching for a new mode of life and death or community for survival and living in relation to the nation, region, individual, and nature.
In recent years, while reflecting on the video recordings of her father’s end-of-life care, Ebata has been creating short films that tell stories focusing on her father, experiences with family, and the nature of human life and death. The exhibition will be an opportunity for Ebata to share with the audience the process of overcoming the grief of losing her father and time of mourning to reexamine her lost father and family, life and death, then the world that comes in the future. How does love turn into violence as it meets death, and how does love keep memory alive along with death? Please join us for lyrical poetry in the moment of loss that wavers between love and violence.










<作品リスト| The Price List>
月の沙漠|The Desert Moon 2020-2022 ビデオ video
井戸鉤 Well Hook 制作年不明(形見)鉄 ion object
灰ならし Ashing 制作年不明(形見)鉄 ion object
花 Flower 2022-23 本、糸 book and strings
参加型インスタレーション (納屋から父の原発に関する古い本が出て来ました。あれだけ情報があったのに、福島の原発事故を起こしてしまったことは衝撃です。わたしたちはいつになったら学ぶのでしょうか?ギャラリーに訪れた方に本の好きなページを花の形に切り抜いていただいて、花の飾りを作ります)
庭 Garden 2022 チョーク*窓の外の中庭にあります。
*窓から外に出ることが可能です。ハシゴを上がる時、必ず井戸鉤が引っかかるので、お気をつけ下さい。
初恋 First Love 父の古い写真、日記から引用したテキスト
*購入希望者の方にはタロットカードを引いていただきます。それに合わせてみずうみさんがタロット占いをして下さいます。
* To purchase a work on display about my father’s first love, you will be asked to draw a tarot card from a pack of major arcana and the card is corresponding to a work. Then Mizumi-san, the cafe owner of the gallery/a professional tarot-reader will give you a reading alongside minor arcana cards.
The gallery is situated in the middle of Gion, the most exclusive geisha district in Japan. A cathouse is the neighbour of the gallery. The 1000 years of history of men and women astonished me. I couldn’t dare add any more words to the space.
So I decided to change the plan of installation and chose the texts from my father’s diary (Sorry, Dad. You were too cute!) about his affection towards a young girl when he was 15 years old. He only spoke to her 3 times in the year.
I know it is impossible but even in the hardest time of our life, trying to keep love in your heart is important. And simple words like these are very important in a place like this.
写真 Photos 制作年不明
1. 女帝|The Empress(キッチンの横の壁 上)
2. 力|Strength(キッチンの横の壁 中左)
3. 吊られた男|The Hanged Man(キッチンの横の壁 中右)
4. 恋人|The Lovers (キッチンの横の壁 下)
5. 月|The Moon(キッチン正面 左中)
6. 隠者|The Hermit(キッチン正面 右上)
7. 世界|The World(キッチン正面 右下右)
8. 運命の輪|Wheel of Fortune(キッチン正面 右下左)
9. 節制|The Temperance(キッチン正面 給湯器 上)
10. 死神|The Death(キッチン正面手前灰ならしの右)
テキスト Texts 1958年/2022年
i. 1) 戦車|The Chariot(キッチン正面 左上左)
ii. 2) 愚者|The Fool(キッチン正面 左上右)
iii. 3) 女教皇|The High Priestess(キッチン正面 左中右)
iv. 4) 皇帝|The Emperor(キッチン正面 左下左)
v. 6) 悪魔|The Devil(キッチン正面 左下右)
vi. 5) 法王|The Hierophant(キッチン正面 右上左)
vii. 8) 星|The Star(キッチン正面 右中右)
viii. 11) 正義|Justice(キッチン正面 右中左)
ix. 10) 太陽|The Sun(キッチン正面 給湯器 中)
x. 9) 塔|The Tower(キッチン正面 給湯器 下)
xi. 7) 魔術師|The Magician(キッチン正面手前グラスラック)
xii. 12) 審判|Judgment(キッチン正面手前灰ならしの右)*大晦日に開けてください。
テキストは父が中学3年生から高校1年生の頃に書いた日記より抜粋したものです。この頃父は近所に住む年下の少女に恋をしていたようです。
1) 戦車
1月14日火曜 雨
恋の美しさというものを知った
又悲しさも
滝さんぼくは君が好きだ
一番好きだ
ぼくが君を好きになるのは自由だ
おれは勉強して強くなるぞ
えらくなるぞ
滝さん見てて下さい
2) 愚者
1月17日金曜 晴
ぼくは滝さんが好きだ
好きなものは好きだ
不良かもしれない
3) 女教皇
2月17日月曜日 晴
治子様
人間、苦労をしなければ立派な人間になれないと言われています
では苦労して立派な人間とはどんな人なのでしょうか
自分は度量しても立派な人間に慣れないのではないでしょうか
自分の生きていく道は自分で切り開いていかねばならないのです
自分の一生の計画を通すためには困難があるのです
そのまずはじめが今度の入試です
でも、まだこんなのは序の口です
4) 皇帝
2月19日水曜 うす曇
治子さん
私は今日二時間目から五時間目までの授業をさぼってしまいました
先生に捕まりお説教されました
勉強できる人が偉い人なのでしょうか
確かに勉強できなくてはだめです
しかし、そうばかりではない気がします
おやすみなさい
私の大好きな治子様
5) 法王
2月17日月曜日 晴
治子様
人間、苦労をしなければ立派な人間になれないと言われています
では苦労して立派な人間とはどんな人なのでしょうか
自分は努力しても立派な人間になれないのではないでしょうか
自分の生きていく道は 自分で切り開いていかねばならないのです
自分の一生の計画を通すためには
困難があるのです
そのまずはじめが今度の入試です
でも、まだこんなのは序の口です
6) 悪魔
3月5日水曜 晴
治子さん
本当のことを言いますと
今まで私の心の中の三分は
私のクラスの見矢木と言う人に奪われていました
しかし今日から治子さんが九分通り支配します
と言うのは
治子さんと話す機会が全然ありませんですので
ともすると色々な人が顔を出すのです
しかし全て治子さんのことで満たされるのも間近かと思っております
7) 魔術師
5月6日火曜
何もなかった(というのはうそだ)
8) 星
8月18日 月曜 晴
アメリカが月に向けてロケットを打ち上げた。
滝さん
9) 塔
8月24日
八王子において試合があった
あらよ
と負けてしまった
10) 太陽
8月27日水 晴
なんて気持ちが良い天気なんだろう
空の色、木の葉の間からさしこむ太陽の光、
それぞれに思い出がある。
小さい頃の記憶が蘇ってくる。
11) 正義
10月8日 水曜 晴
青木、てめえ、しっかりしろ
おれだって何も滝さんがどうっていうんじゃねえんだ
好きなことは好きなんだが、
昔を想い出しても、この方三年というもの口を聞いたのは唯一三回
てめえなんぞは一年間ツラをおがんでいたんじゃねえか
その間にもっとひきつけとかねえのがいけねえんだ。
だが、今少し待ってろ。
12) 審判
12月31日水曜
年越しイベントの時に開いてみてください。
アルコール Alcohol
上善如水
みずのごとしの名前の通り、あらゆるものと調和して、するりと喉の奥へと落ちる。シンプルで清らかなお酒です。
『父の好きだったお酒です』(作家談)
サンピースウイスキー
「サンピースウイスキー」は弘化3年(1846年)創業の宮崎本店が製造しています。戦後になって発売され、太陽の下で平和を謳歌できる喜びと願いを込め「サンピース」と名付けられました。輸入したモルトウイスキーとグレーンウイスキー、スピリッツをブレンドし、宮崎本店の酒造りに欠かせない地下150mから汲み上げる鈴鹿山系の超軟水の伏流水を使用しています。同社はホッピーとのセットでお馴染みの「亀甲宮焼酎」、通称「キンミヤ焼酎」を製造しています。従価税表記時代(1989年以前)には二級ウイスキーだったのではないかと思われます。マイナーチェンジはしていますが、その当時の日本の地ウイスキーの味を体感できるウイスキーではないかと言われています。
『日本のウィスキーらしい味がします。後味が悪いウィスキーです。何時間もひきます』(作家談)
ハーブティー Heval Tea
ラブ
リバイタライズ
レモンジンジャー&マヌカハニー
カモミール
日本茶 Japanese Tea
ほうじ茶
お茶うけ Sweets
服部製糖所 藍玉
<タイトルの背景|The back ground of the title>
タイトルの『月の沙漠』は作詞:加藤まさを、作曲:佐々木すぐるによる日本の童謡から引用しました。父が亡くなった後、実家の洗面所の鏡にこの歌の歌詞が張ってありました。父が亡くなってから、母は一時お歌の先生のところにお稽古に行っていました。父を看病していた時、私が母に歌を歌ったらどうかと提案した時に、彼女の中から歌が出てこなかったことがあり、それでお稽古に通っていたのではないかと思いました。歌詞は「王子様とお姫様が駱駝に乗って沙漠をとぼとぼと行く」というもので、父の闘病が始まってからの二人の20年間を思い起こしました。
歌詞を書いた加藤まさをは大正から昭和初期に叙情的な挿絵画家として活躍したそうで、その後1927年にラジオ放送され、1932年に柳井はるみの歌唱で録音・レコード化され、童謡として広まったそうです。曲のタイトルは「砂漠」ではなく「沙漠」となっていて、曲の歌詞が千葉県の御宿海岸をモチーフとしており、乾いた砂ではなく、水分を含んだ海岸の砂であることを表現しているそうです。
また、王子と姫が二人だけで旅をしていたら、たちまちベドウィンに略奪される。砂漠で月が「朧にけぶる」のは、猛烈な砂嵐が静まりかけるときぐらいに限られる。などという歌詞に対する批判もあったようで、砂漠を見たことのないロマンチックな日本人が作った歌詞が、死の世界を知らないで想像している自分に重なりました。更に英語でDeart Moonを検索すると、また両親を思い起こさせる80年代の曲にあたり作品のタイトルが決まりました。
月の沙漠
月の沙漠を はるばると
旅の駱駝がゆきました
金と銀との鞍(くら)置いて
二つならんでゆきました
金の鞍には銀の甕(かめ)
銀の鞍には金の甕
二つの甕は それぞれに
紐(ひも)で結んでありました
さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人は おそろいの
白い上着を着てました
曠(ひろ)い沙漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる月の夜(よ)を
対(つい)の駱駝はとぼとぼと
砂丘を越えて行(ゆ)きました
黙って越えて行きました
Desert Moon by Dennis DeYoung
“Is this the train to Desert Moon?” was all she said
But I knew I’d heard that stranger’s voice before
I turned to look into her eyes, but she moved away
She was standing in the rain
Trying hard to speak my name
They say first love never runs dry
The waiter poured our memories into tiny cups
We stumbled over words we longed to hear
We talked about the dreams we’d lost, or given up
When a whistle cut the night
And shook silence from our lives
As the last train rolled towards the dune
Those summer nights when we were young
We bragged of things we’d never done
We were dreamers, only dreamers
And in our haste to grow too soon
We left our innocence on Desert Moon
We were dreamers, only dreamers
On Desert Moon, on Desert Moon
On Desert Moon, Desert Moon
I still can hear the whisper of the summer night
It echoes in the corners of my heart
The night we stood and waited for the desert train
All the words we meant to say
All the chances swept away
Still remain on the road to the dune
Those summer nights when we were young
We bragged of things we’d never done
We were dreamers, only dreamers
Moments pass, and time moves on
But dreams remain for just as long
As there’s dreamers, all the dreamers
On Desert Moon, on Desert Moon
On Desert Moon, Desert Moon
クレジット
江幡定夫
江幡照子
江幡京子
撮影
江幡京子
山田沙奈恵
編集
山田沙奈恵
江幡京子
協力
F.アツミ
アビ
浅野智明
井出竜郎
宇多村英恵
大久保あり
大槻英世
岡本大河
後藤克史
鈴木愛
さくまはな
西村慎太郎
ジョン・L・トラン
ティム・バーンズ
株式会社 明研
父の看取りに関わって下さった全ての方々にお礼を申し上げます。
江幡京子
Credit
Sadao Ebata
Teruko Ebata
Kyoko Ebata
Camera
Kyoko Ebata
Sanae Yamada
Editor
Sanae Yamda
Kyoko Ebata
With
F. Atsumi
Abi
Tomoaki Asano
Tim Byrnes
Tatsuro Ide
Shintaro Nishimura
Katsushi Goto
Taiga Okamoto
Hideyo Ohtsuki
Ari Okubo
Hana Sakuma
Ai Suzuki
John L Tran
Hanae Utamura
Meiken Inc.
I would like to express my sincere gratitude to all the people for being by our side all through these challenging days and ensuring that we could say our goodbyes. Thank you so much.
Kyoko Ebata
作者、江幡の父親は脳出血の後遺症を抱えて22年間の闘病生活を送った末に、77歳で進行癌で亡くなった。癌が見つかった時、既に左半身麻痺の障害を持って生きて来た上に、更に下顎を全て削り出す手術はあまりにも過酷で江幡の両親は手術を拒否した。
コロナ禍の中、病床が足りない時期に手術をしない決断をしたため、入院することができず、自宅で看取ることになった。下顎癌だったため、気管がどんどん狭まり、そこに詰まる痰で窒息死を防ぐため毎日チューブで肺から痰を吸い出さなければならず、これが大きな痛みをともない、二ヶ月間苦しみ続けた。
看取りに関する情報の少なさに、看病する側も彼の死の瞬間に別れを言わなければならないと思い込み、昼も夜も隣につきっきりになりながら、正常な判断ができなくなっていった。苦しんでいる人を助けてあげられない苦しみ、自分の手に相手の生死が任されるという恐怖を味わいながら、人が死んでいく姿を見つめ、二度お別れをした。そして、三度目に彼は本当に亡くなった。
家族の彼に生きて欲しいという愛情はある意味暴力でもあり、本人はすぐにでも死にたかったであろうが、家族への愛情のために苦しみを耐えたとも言える。他にもっと彼を楽にさせてあげる方法があったのではと、誰もが感じるであろう後悔の中、コロナ禍の中で政府が推奨し始めていた「看取り」は、核家族化した現代社会においては、近代前の大家族で迎える畳の上での大往生とは全く違うものであった。より多くの知識と監査体制が必要であると感じ、なるべく早く多くの人々に見てもらおうと作品を制作する中、ウクライナ侵攻が勃発した。
戦争であれば、死にたくない人を殺すのはやむを得ない事だと見なす人が現実が存在する中、平和な社会では死にたいと思っている人は死ぬ権利がない。この矛盾にどのように向き合えば良いのだろうか。尊厳死が答えなのだろうか?近代を経て、私たちはより幸せになったのだろうか?長い間、宗教がになってきた領域を私たちは個人として受け止めることができるのであろうか?死やそれにまつわる関係性にまつわる物語は難しく、ともするとそれに囚われて人生を生きることができなくなってしまうものだ。しかしこの問題に蓋をし続けて行けば行くほど、人はますます孤独になっていくであろう。
父親の看取りは、江幡にとって長い間ほとんど対話をして来なかった母親と対峙する機会でもあった。母親の父に対する複雑で深い愛情を発見し、庇護者である父を亡くした母親が、老いとともに娘が庇護者となっていくことを少しずつ受け止める現実に戸惑いつつも、自分自身にも少しづつ老いが忍び寄っているのを感じつつ、毎日の生活を振り返り再解釈を繰り返しているとも言えるだろう。
この家族にまつわる物語、『月の沙漠』は、江幡が長年にわたって、家族とカメラを通して向かい制作してきたシリーズの一環で、制作は現在も続いている。最初は高齢者の部屋のシリーズ『ジャムの瓶詰め小屋』の一作品として匿名性を伴って発表されていたものが、徐々に直接自分の家族の物語として発表するようになり、更に新たなナラティブを与え、関連した作品や企画を通して、より普遍的な物語に発展している。これは、江幡の家族の物語であるとともに、江幡自身の物語でもある。