前橋映像祭で父を看取った時の作品『月の沙漠』を上映していただきます。ア-ティスト・ト-ク(11月2日(土) 19:30-20:30)にも参加する予定です。是非見にいらして下さい。
https://maebashimediafestival.jp/2024program/
投稿者「kyokoebata」のアーカイブ
Lovers
https://www.instagram.com/ebata_works
今、通りすがりのカップルの写真を撮っています。
なんで今カップルに惹かれているのか考えてみました。もちろん最近のプライバシーに過敏な社会情勢に対する不安もありますが、一番大きな理由は、最近今まで行ったことのないデートスポット的な場所に行く機会があったからかもしれません。最近ボーイフレンドができたからです。
最初はスカイツリー、東京タワー、水族館に行ったり、観覧車などに乗って、写真スポットで写真を撮ってもらったりしました。昔の私だったら、拒否したかもしれません。
そうすると、デートスポットにおじさん、おばさんは少ないことに気づきました。そして、若いカップルがとても眩しく見えます。いつの間にか私はおばさんになっていたのです。
長く連れ添ったカップルにも憧れを感じてしまいます。実際はもちろん色々あるのでしょう。でも、今の私には手に入れられないものだからこそ、すれ違い様に幸福の幻に吸い込まれそうになります。
なぜ、もう少し早く結婚相手に出会わなかったのか、よくわかりません。本当はわかっているけど、わからないと言っておきます。
でも、やはり父が亡くなったことが大きいと思います。次に母が亡くなれば一人きりになることが現実的に感じられ、ものすごく怖くなりました。
しかしながら何故こんなに時間が掛かってしまったのか、やっぱり全くもって謎です。私は子供の頃から大きくなったら結婚して、子供を産んで家庭を持つものだと思っていました。子供の名前も決めていました。
結婚式はしないことにしました。父が車椅子でも立派に見えるように和式が良いなと思っていました。結婚式は父に見せるためだったのですが、もうその父はいません。
そんなこんなで、だいぶへなちょこですが、私なりに一生懸命に頑張っています。でも相手の好きなポテトサラダはいつまで経っても美味しくならないし、唐揚げなぞ早い段階で諦めました。お店には勝てません。申し訳ないなと思います。全く料理をしない相手ですが、最近は料理の本を見て作ると相手の作ったものの方が美味しい現象が起きています。
しかし、お互い様ですが、男の人はどうしてまたこう不可解な生き物なんでしょうか。お互い全然違う人生を送って来たので、驚きの連続です。でも、かわいいですよね。
かわいそうなお相手もものすごく努力しているのがわかります。2年経ってやっと暖かいコーヒーも紅茶も飲まないことを告白されました。冷えたペットボトルの麦茶が一番良いようです。エスプレッソなぞは、「泥水だ」と言うことは想像がつくので、入れていません。
Recently, I’ve been taking photos of couples passing by.
I tried to think about why I was attracted to couples now. Of course, I have a sense of crisis about the current social situation, where people are becoming morbidly sensitive about their privacy, but the biggest reason might be that I recently had opportunities to go to so-called “dating spots” that I’d never been to before. The main reason must be that I finally have a boyfriend who I’m thinking of marrying.
In the beginning, we went to places like Skytree, Tokyo Tower and the aquarium. There were not many middle-aged couples at these places, so the young couples looked beautiful. Before I knew it, I had become a middle-aged woman.
I also feel a sense of admiration for couples who have been together for a long time. Of course, there are probably all sorts of things going on in their relationship. But because I can’t have what they have, I can’t take my eyes off the illusion of their happiness.
I don’t really know why I didn’t meet my future husband a little earlier. Actually, I do know, but I’ll say I don’t know.
But I think the fact that my father died was a big factor. When I thought about the reality of being alone after my mother died, I became extremely scared.
However, why it took so long is still a complete mystery. From childhood, I thought that when I grew up, I would get married, have children and have a family. I had even decided on the names of my children.
We decided not to have a wedding ceremony. I thought that a Japanese-style wedding would be nice, so that my father would look good even in a wheelchair. The wedding was to show my father, but he is no longer here.
So, I’m still a bit of a novice, but I’m working so hard. In the past, I might have refused to have my photo taken at a photo spot, but now I’m trying to make my partner’s favourite potato salad, but my skill does not seem to get any better, and I gave up on making fried chicken at early stage. I can’t beat a take out. I feel bad.
I guess it’s a two-way street, but I wonder why men are such mysterious creatures. We’ve led completely different lives, so it’s a continuous surprise. But men are cute, aren’t they?
I can see that the poor guy is also making a huge effort. After two years, he finally confessed that he doesn’t drink hot coffee or tea. It seems that cold bottled barley tea is best for him. So I don’t bother making espresso because I can imagine that he would say it was ‘muddy water’.
He doesn’t cook, but recently, when he cooks something from a recipe book, it tastes better than mine.
花火と爆弾 Fireworks or Bombing?+ Talk by Zoe Yeh
Kyoko Ebata and REKREATIF
2024年8月3日(土)〜25日(日)|木・金・土・日 14~19時
オープニング・レセプション:8月3日(土)19~21時
ゲストトーク:8月4日(日)14〜15時 (JPT)
葉 佳蓉、鳳甲美術館館長(オンライン出演)
<Guest Talk> 14-15h (JPT)/13-14h (TST) 4 Aug 2024
Zoe Yeh, Director of Hong-gah Museum
*作家はギャラリーから参加、台湾とオンラインでつなぎます。
*The artist will be talking from the gallery connecting online to Taipei
monade contemporary | 単子現代 https://monadecontemporary.art-phil.com/
〒605-0829 京都府京都市東山区月見町10-2 八坂ビル地下1階 奥左入ル 2号室
コンビニの梅のおにぎりが100から125円になり、日々の生活に追われる中、太古の昔から世界のどこかで戦争は続いている。愛する人を守るために戦争が起こるのでしょうか?
不安を煽るメディア戦争。現実と仮想が錯綜する中、ほんの少しでも反戦の気持ちを表すのに何かしなければと、台湾有事が騒がれる台湾に行って来ました。
日章旗をコインランドリーで洗い、話しにくい過去や未来の戦争のことを通りすがりの見知らぬ知らない方とちょっとでも話せることが「普通」である状態は、すごく平和であることなのかもしれません。この状態を大事にしたいと思います。
展示『花火と爆弾』では愛と暴力をテーマに新作『日の丸の洗濯(台湾)』、恋人たちのストリートスナップ『Lovers』の発表とともに、以前、東ティモールで行ったワークショップ Nu’udar Ema; How do you cope with being a human?で若手写真家グループREKREATIFが撮影したマーシャルアートの写真を展示します。マーシャルアートはギャング化して、社会問題になってなっていました。ワークショプでは別のギャンググループ同士の試合を実現させました。
While the price of a rice ball has risen from 100 to 125 yen at Seven Eleven and we are busy surviving our daily lives, wars have been going on somewhere in the world since the beginning of history. Are wars started to protect our loved ones?
Media wars that fuel insecurity. In the midst of the confusion between the real and the virtual, I had to do something to say I am against wars, even if it is a tiny action. So one day I have decided to go to Taiwan where there is a lot of concern about the Chinese unification of Taiwan.
The state of being able to wash the Japanese flag in a laundrette and talk about the past and future wars with strangers passing by is “normal” must be a very peaceful state. I would like to cherish this moment.
The exhibition ‘Fireworks and Bombs’ will feature the new work ‘Washing the Hinomaru (Taiwan)’ and the street snapshots of ‘Lovers’, both of which explore the themes of love and violence. It will also feature the martial arts photographs taken by the young photographer group REKREATIF at the workshop Nu’udar Ema; How do you cope with being a human? held in East Timor in 2021. Martial arts in East Timor have become a social problem as they have become a gang culture. The workshop brought together two rival gangs for a match.
Publicity:『「日の丸の洗濯」、日本を洗う』桑原和久 Kazuhisa Kuwahara, Washing Japanese Flag/ Washing Japan
Washing Hinomaru in Taiwan
Publicity:『「日の丸の洗濯」、日本を洗う』桑原和久 Kazuhisa Kuwahara, Washing Japanese Flag/ Washing Japan
台湾で久しぶりに行ったパフォーマンス、「Washing Hinomaru 日の丸の洗濯」は、東日本大震災後2013年から行っている日章旗を洗うパフォーマンスです。パフォーマンスは複数の日章旗を町中のコインランドリーの洗濯機で洗濯し、乾燥、アイロンがけをしてたたむという行為を繰り返して行います。日章旗は物干し用のロープで乾燥され、展示物としても機能し、日章旗とその行為は鏡の役割を果たし、見る人によって様々な解釈が存在します。最終的には日本が占領した全ての国に行きたいと思っていて、機会があることに発表しています。
今回は、今も続いているガザやウクライナの戦争を見ていて、何かしないといけないけれど、何をしたら良いのかわからず、オロオロした挙句、とにかく何かしなければと思い、台湾に出かけました。イスラエルに行ったこともありますし、ロシアやウクライナ、その他紛争地ミャンマーの方々と直接お話を伺う機会もあったのにも関わらず、降り積もる情報が自分の中でどんどん上書きされていくのが恐ろしいなと感じていました。
ある日、来日していた香港の友人と会った時、友人が「自分は国を失った」と言っていたのが、とても胸に刺さりました。香港では大学の先生だった友人で、とても穏やかで政治的な作品を作る人ではありませんでした。それが、香港は生きにくいと、今はイギリスに住んでいます。民主主義は努力しないと維持できないことを痛感させられました。
その彼に台湾も香港のようになるかもしれないと言われ、お尻に火がつきました。早く行かないとまた撮影できるかもしれないような気がして来ました。大分前に香港で「日の丸の洗濯」を制作発表したのですが、今ではできないと思います。それに、もう10年ぐらい前から上海で働いている仲の良い友人がいるのですが、いつか行こうかと思っているうちに、コロナになり、政治的にもどんどん難しそうになって来て、後悔しているところでした。とにかく、呑気にしているうちにどんどん世の中が変わっていってしまうのではないかという危機感を覚えました。
後でよくよく考えてみると、香港と台湾は立場が違うし、そこまで慌てる必要もなかったようですが。また、台湾の方々も皆しっかりしていらして、「過去のことは、悪いのは上の人。今はやるべきことをして、坦々と日々を生きることが大事。ただ投票は必ずするべき」とおっしゃっていました。
また、中国の方々にもお話しを伺うこともできました。明かな各国の教育の違いを感じつつ、話を伺うことができて、少し自己満足に浸ることもできましたが、またニュースを見てはメディア戦争だとわかっていても、やはり胸がザワザワする日々を送っています。
とは言え、戦争は太古の昔からずっと続いていて、様々な思いは世代を超えて続いていくものではあります。日本人としては、お気楽に台湾は日本が好きだと思い込んでいますが、台湾の方にとって今重要なのはアメリカと中国で、一般の方はK-POPを楽しんでいて、日本の存在は過去のものになっています。それでも、日本が台湾にしたことは忘れられてはいませんし、日本に対する愛情があった方も差別を受け、その思いは複雑です。特に日本軍の原住民の扱いは、台湾が国のアイデンティティを確立していく上でも繰り返し語られています。そのことを台湾の方に話すと、「過去は過去で、今は地震国同士として助け合ってるではないか」と慰められました。頭が下がる思いでした。
日本人の中に「外国人嫌い」や「日本人は特別で外国人には理解されない何かがある願望」として残されているものの、ほとんどの日本人は第二次世界大戦のことをすっかり忘れています。そして、そうすることで様々な利益を得ています。特に私たちは戦争に負けたのであり、加害者であることは、辛いことなのかもしれません。 様々なケースがありますが、戦争とはそういうものなのかもしれません。加害者はトラウマに悩まされつつ口をつぐんで忘却を望み、皆が被害者としてプロパガンダを繰り返し続けるのです。
それでも人々を戦争に駆り立てるのはなぜなのでしょう?過去を忘れないことも大切であり、前に進み平和を構築し、維持することも同様に大切です。
イスラエルとパレスチナの方々が過去を忘れて話し合う方法はあるのでしょうか?作品を通して、過去の戦争の再考、美術館化を促し、多様な意見を持つ人々のコミュニケーションの方法を探りたいと考えました。本当に悪いのは「上の人」だけなのでしょうか?私たちも何かできることがないのでしょうか?
日章旗をコインランドリーで洗い、話しにくい過去の戦争のことを知らない方とちょっとでも話せることが「普通」である状態は、すごく平和であることなのかもしれません。この状態を大事にしたいと思います。(2024年8月)
The performance ‘Washing Hinomaru’ is a performance that has been held in Taiwan since 2013, after the Great East Japan Earthquake. The performance involves repeatedly washing, drying, ironing and folding multiple Japanese flags in the washing machines at laundromats around town. The Japanese flags are hung out to dry on clotheslines and also function as an exhibit, and the flags and the act of washing them act as a mirror, and there are various interpretations of the work depending on the viewer. Ultimately, I want to go to all the countries that Japan has invaded, and I have performed this work whenever I have the chance.
This time, I was watching the ongoing wars in Gaza and Ukraine, and I felt that I had to do something, but I didn’t know what to do, so I went to Taiwan anyway, thinking that I had to do something.
Even though I had been to Israel and had had the opportunity to speak directly with people from Russia, Ukraine and other conflict zones such as Myanmar, I felt that the information I was receiving was being overwritten in my mind.
One day, when I met a friend from Hong Kong who was visiting Japan, I was very moved when he said, ‘I’ve lost my country’. He was a university professor in Hong Kong, and he was a very gentle person who didn’t make political works. He said that it was difficult to live in Hong Kong, and now he lives in the UK. I was made keenly aware that democracy cannot be maintained without effort.
He told me that Taiwan might end up like Hong Kong, and that really got me thinking. I felt like I had to go there soon, or I might not be able to film there again. I showed my work “Washing the Japanese Flag” in Hong Kong a long time ago, but I don’t think I could do that now.
Also, I have a good friend who has been working in Shanghai for about 10 years now, and while I was thinking about going there one day, the coronavirus hit, and things started to look more and more difficult politically, and I was starting to regret it. Anyway, I felt a sense of crisis that the world was changing rapidly while I was taking it easy.
When I thought about it later, I realised that Hong Kong and Taiwan are in different positions, and there was no need to panic. Also, the people of Taiwan were all very level-headed, and they said, ‘The people at the top are to blame for the past. What’s important now is to do what you have to do and live your days in a calm and collected way. But you should definitely vote.’
I was also able to speak to people from China. While I was able to talk to them and feel the clear differences in education of each country, I managed to feel little self-satisfied, but even when I watch the news and know that it’s a media war, I feel very sad.
That said, war has been going on since ancient times, and various feelings continue to be passed down from generation to generation. As a Japanese person, I’ve been casually assuming that Taiwan likes Japan, but for the Taiwanese people, what is important now is the US and China, and ordinary people enjoy K-POP, so Japan’s presence is something of the past. Even so, what Japan did to Taiwan has not been forgotten, and those who had feelings of affection for Japan have also suffered discrimination, so the feelings are complex. In particular, the way the Japanese military treated the indigenous people is something that is repeatedly discussed in Taiwan as the country establishes its national identity. When I mentioned this to a Taiwanese person, they consoled me by saying, ‘The past is the past, and now we are both earthquake-prone countries, so we are helping each other out.’ I was so moved.
Although there are some Japanese people who are xenophobic or who harbour a desire for something special about the Japanese that foreigners cannot understand, most Japanese people have completely forgotten about World War II. And by doing so, we have gained various benefits. In particular, we lost the war, and being the aggressor must be painful. There are various cases, but that is perhaps what war is like. The perpetrators suffer from trauma and keep quiet, hoping for oblivion, while everyone continues to repeat the propaganda as victims.
Why do people still get drawn into war? It is important to remember the past, but it is equally important to move forward and build and maintain peace.
Is there any way for the people of Israel and Palestine to forget the past and talk to each other? Through my work, I wanted to encourage people to reconsider the past wars and to think about how to turn them into museums, and to find ways of communication for people with diverse opinions. Is it really only the ‘higher-ups’ who are to blame? Is there nothing we can do?
Washing the Hinomaru flag at the laundromat and being able to talk, even if only a little, with people who don’t know about the difficult past wars is a ‘normal’ state of affairs, and it may be that this is a very peaceful thing. I want to cherish this state of affairs.
August 2024
[Documentation Video]
日の丸の洗濯:あれは花火か?爆弾か?
Washing Hinomaru: Fireworks or Bombing?
2024 デジタルビデオ digital video 34:04:06
『日本人は礼儀正しくてやさしいのに、なぜ台湾を侵略したのかは不思議です』
『また侵略してこないですよね? 』”I have a question: Why did the Japanese start the war at that time while they were all very nice ?” “The Japanese won’t do it again now, right?”
“我有一個疑問,爲什麽當時的日本人都很和善,現在,現在的日本人應該不會了吧?”
『私が一番怖いのは、戦争も嫌いだし、暴力も反対だけど、もしその場にいたら、周りに流されて暴力を振るってしまうんじゃないかということです』 “What I fear is, although I hate war and against violence, if I was in that situation, I would probably be swept away and do it. “我最擔心的是,雖然我痛恨戰爭,反對暴力、如果我身處那種境地 我很可能會被暴力沖昏頭,做出這種事。
『もちろん戻して欲しい、台湾を。あ、中国を。一体になってほしい。でも戦争を起こすのは嫌。平和な方法があれば、戻して欲しい』
“Of course, I hope Taiwan to come back to China.But I don’t like to start a war. If there is a peaceful way, I want Taiwan to be back.” “我希望台灣能回歸于中國。“我不喜歡戰爭,如果有和平的方式解決是最好的。”
『中国人的観点から見ると、中国は1949年に中華人民共和国が成立して以来、他の国に侵略をしていないです。中国から喧嘩を売ることはないけれど、やられたら絶対やり返します』”From a Chinese point of view, China has not invaded since becoming the People’s Republic of China in 1949. China won’t start a fight, but if it gets attacked, China will fight back. ” 從中國的角度來看,自從中華民國於1949年成立之後,中國也沒有入侵台灣。中國不會開戰,但是如果真的有打仗的話,中國也不會坐以待斃。
『もしその時が来たら、銃撃戦が始まるでしょう』”If the time comes, we’ll start a battle.” 如果到時候發生了,還是會開槍。”
『個人的には平和は社会的な平等です。それが実現できなければ平和ではありません』
『(それでは)まだどこにも平和はありませんね』“I think peace means social equality.If that cannot be achieved, then there is no peace.” “There is no peace anywhere then.” 我認為和平就是社會平等如果不能實現,就沒有和平。那麼任何地方都不會有和平。
Interview/Translator: 沈亮慧 Lianghui Shen
Translation:徐莹芯 Emily Chu, 熊熊 Koala
Christopher Adams
天野太郎 Taro Amano
F. アツミ F. Atsumi
粟田大輔 Daisuke Awata
Sophie Chiang
范如菀 Juju Fan
池端規恵子 Kieko Ikehata
稲垣立男 Tatsuo Inagaki
柁谷直希 Naoki Kajiya
桑原和久Kazuhisa Kuwahara
Michael Lin
三井圭司 Keishi Mitsui
みずうみ Mizuumi
良知 暁 Akira Rachi
Beat Streuli
杉田敦 Atsushi Sugita
Hou I Ting
John Tran
Heidi Voet
『「日の丸の洗濯」、日本を洗う』桑原和久 ”Washing Japanese Flag, Washing Japan” by Kazuhisa Kuwahara
涙募集中!TEARS wanted!
涙募集中!本気です。ご協力お願いしまーす!!!作品 <<涙で梅干しを作る>> のために、庭で採れた梅と涙で作ったお塩で梅干しを作ります。
TEARS wanted! I am dead serious. Please give us help (and your bodily fluids)! For our project, <<Making plum pickles with tears (work in progress)>> we need to make salt out of tears, and make pickles from plums from our garden. Any suggestions for the methods will be great, so far, onion is not working so much, and I don’t want to punch anybody.
Quite difficult to collect large amount of tears…
The Tear Kit
塩 | Salt
On the occasion of the screenings of “The Desert Moon”, a work about Ebata’s father’s end-of-life care at the House of Ebata, Ebata’s grandparents’ home, a talk by Viktor Belozerov and a participatory performance with Kana Kimura and Mako Fukuda were organised.
In “Making plum pickles with teas”, we wanted to practise remembering the power of life and humour in the midst of mourning through the ritual of ‘eating together, crying together, making salt from the collected tears, and using the salt to dip new plum trees in the garden’ with half-century-old dried plums found in the barn at the House of Evata. We harvested the plums from the garden in June and are currently looking for a way to collect as much of the tears as possible.
We also had a talk “Anti-war vacation: life and death in art and politics of Russia” by a Russian researcher, Berzoerov, on contemporary art in Russia. Since the Ukraine Invasion, the world has become increasingly divided. From the ongoing division to the division with the past, the desire to forget the past and many other complexities. We were told that currently, interaction between researchers is also hindered. I think it is important for others with different ways of thinking to get to know each other better in order to coexist.
I am against war, violence, everything, but even asking a sick father to live can be violence. Violence is lurking in all of us. I hope that when we realise, when we have the chance, we can have just a little bit of courage and make choices that will reduce the number of people who suffer, even if just a little bit.
江幡の祖父母の家であるハウス・オブ・エバタで江幡の父の看取りをテーマにした作品『月の砂漠』のスクリーンニングを行うにあたり、ビクター・ベルゾエロフのトークと、木村佳奈と福田真子と参加型パフォーマンスを企画しました。
『涙で梅干しを作る』ではハウス・オブ・エバタの納屋で見つかった半世紀前の梅干を「みなで食べ、共に泣き、集めた涙で塩を生成し、新たに庭の木に成る梅の実をその塩でつける」という儀式を通して、弔いの中でも、生きる力やユーモアを忘れないことを実践したいと考えました。6月に庭の梅を収穫したので、現在涙をなるべく大量に集める方法を模索しています。
また、ロシア人の研究家のベルゾエロフにトーク<『反戦バケーション(ロシアのアートと政治における生と死の表現)』と題して、ロシアの現代美術についてご紹介いただきました。ウクライナ侵攻から、世界でますます分断が進んでいます。現在進行形の分断から、過去との分断、過去を忘れたいという願望、多くのことが複雑に絡まっています。現在、研究者同士の交流も妨げられているという話を聞きました。色々な考え方の他者同士が共存していくには、よりお互いを知ることは重要なことだと思います。
戦争、暴力、全てに反対ですが、病気の父に生きて欲しいと求めてしまうことでさえも暴力になり得ます。暴力が私たちの中にも潜んでいるのです。気づいた時に、チャンスがあったときに、ほんの少しだけ勇気を出して、苦しむ人がほんの少しだけでも減るような選択ができたら良いなと思います。
————-
2023年1月29日(日)13時〜19時
13-19 Sun 29 Jan 2022
House of Ebata, Tokyo
https://houseofebata.wixsite.com/info
Viktor Belozerov ビクター・ベルゾエロフ
Kyoko Ebata 江幡京子
Mako Fukuda 福田真子
Kana Kimura 木村佳奈
14:00-16:00
トーク Talk “Anti-war vacation: life and death in art and politics of Russia”
Viktor Belozerov ビクター・ベルゾエロフ
https://us02web.zoom.us/j/84505468122?pwd=c3ZaTDIvZHFiUE90emZuUDdXNzNuZz09
ミーティングID: 845 0546 8122 パスコード: 840298
ビクターさんとの対話は、ウクライナ侵攻が始まった時にビクターさんが日本のアーティストに『平和のための手紙』を書くように呼びかけたことから始まりました。誰かを愛するということは、いつかその人を失うことでもあるのでしょうか?そして、その人を守りたいから争いが起こるのでしょうか?先のことはよくわからないですが、今、より多くの人を愛し、互いの理解をより深める努力をしたいと思います。
The dialogue with Viktor began when Russia invaded Ukraineand Viktor invited Japanese artists to write anti-war statements for a letter campaign called “Letters for Peace”. Does loving someone also mean that you will lose that person eventually? Do we start a fight to prevent the loved one from getting hurt? We don’t really know what the future holds, but we believe that now we can love more people and understand each other more.
*ビクターさんは国外からオンラインで参加になり、トークは英語で行われますが、日本語でのサマリーや通訳のサポートを行います/ The talk will be held in English. Language support for Japanese will be provided on an as-needed basis.
*トークの記録 (02:38:29) the documentation (02:38:29) https://youtube.com/live/fcljs8n4Kn8?feature=share
18:00 〜
涙で梅干しを作る Making plum pickles with teas
Mako Fukuda 福田真子/ Kana Kimura 木村佳奈 With Kyoko Ebata 江幡京子
江幡京子 Kyoko Ebata
2020-2022 Digital Video
スクリーニング screening
*スクリーニングは予約制で2月末までご覧いただけます。open by appointment until the end of February.
涙で梅干しを作る Making plum pickles with tears
ハウス・オブ・エバタは江幡京子の祖父母の家でした。数年前に納屋で江幡の祖母が半世紀程前に作ったと思われる梅干が見つかりました。梅干しは古くから保存食や食薬品として親しまれてきました。保存食とは現在進行形の生きた記憶であり、それが引継がれる家の歴史でもあります。
今回、江幡の父の看取りをテーマにした作品『月の砂漠』のスクリーンニングを行うにあたり、木村佳奈と福田真子の提案で、わたしたちはこの梅干を「みなで食べ、共に泣き、強制的に集めた大量の涙で塩を生成し、新たに庭の木に成る梅の実をその塩でつける」という儀式を通して、弔いの中でも、生きる力やユーモアを忘れないことを実践したいと考えました。
『保存食品の食べ物を腐らせずに保存させようというアイデアそのものに「死への対抗」があります。長い間夢の中で死に抗いながら眠っていた梅干を体内に入れて目覚めさせることは、梅干しと私たちの時間軸をシンクロさせ、生と死を連続させる行為であると言えるでしょう。そしてその夢をわたしたちの涙でアクティベートさせ、塩に結晶化します』(木村佳奈)。
塩は生き物にとってなくてはならないと同時に、使いすぎると全ての生き物を殺すこともできます。その塩を操り、私たちの身体は今年もまた新しい実をつける梅の木に出会い、共に次の世代に受け継いで行きます。
*梅干は株式会社食品微生物センターに検査を依頼し、食用に問題ないとの結果が出ております。
House of Ebata was the home of Ebata’s grandparents. A few years ago, pickled plums that seemed to have been made by Ebata’s grandmother some half-century ago were found in the storage.
Dried plums have long been a popular preserved food and food medicine. Preserved food is an ongoing living memory and a family history that is passed on. In screenings for the film “The Desert Moon”, which is about Ebata’s father’s death-watch, with Kana Kimura and Mako Fukuda’s participation, we used the pickled plums in the ritual of “eating them together, crying together, making salt with a large quantity of forcibly collected tears, and using the salt to dip the newly grown plums in the garden tree”, so that even in mourning, we can practise not forgetting to find strength in life and a sense of humour.
“The idea of preserving food without allowing it to spoil is itself an attempt to ‘resist death’. Waking up the dried plums in our bodies, which have been sleeping for a long time in a dream, defying death, is an act of synchronising the dried plums with our time axis and making life and death in continuity. The dream is then activated by our tears and crystallised into salt. Salt is indispensable for living beings, but at the same time it can kill all living things, if we use too much of it. By using the salt, our bodies meet the plum tree, which bears new fruit again this year, and together we pass it on to the next generation.(Kana Kimura)”
*The pickled plums were tested by Food Microbiology Centre Inc. and found to be safe for human consumption.
略歴|profile
ビクター・ベルゾエロフ| Viktor Belozerov
インディペンデント・リサーチャー。ロシア国立人文大学(モスクワ)美術史学部卒業。ロシアにおける現代日本文化の普及を目的とした教育プロジェクト「Gendai Eye」を立ち上げる。現在、日本研究室J100Rの主任研究員として、1920年代から現在までのロシアにおける日本の現代美術に関する思想を研究している。
Viktor Belozerov is an independent researcher. Graduated from the Art History Faculty of the Russian State University for the Humanities (Moscow). Created the educational project Gendai Eye, which aims to promote contemporary Japanese culture in Russia. Currently the lead researcher of the Japanese Laboratory J100R, which focuses on ideas about contemporary Japanese art in Russia from the 1920s to the present.
江幡京子|Kyoko Ebata
アーティスト。ゴールドスミス卒。日常で目にする様々な事柄をテーマにそこで生活する者の目線から時代を表現する。現在はプロジェクトスペースHouse of Ebataを運営しつつ、国内外で発表している。
Kyoko Ebata is an artist, graduated from Goldsmiths’ College. She expresses the times from the perspective of a person living in everyday life. Currently runs the project space House of Ebata, while exhibiting widely. http://kyokoebata.com
福田真子|Mako Fukuda
ドイツ在住。ウェブマガジン「ヴァルナブルな人たち」、Zineイベント「ZINEFEST Leipzig」を運営。ライプツィヒのコミュニティスペース「日本の家」の活動に関与するなど、中間共同体に関心を持ち活動を続ける。
Lives and works in Germany. Runs the webzine ‘vulnerable people‘ and the Zine event ‘ZINEFEST Leipzig’. She pursues her interest and activities in intermediary communities, including involvement in the community space ‘Das Japanische Haus e. V.” in Leipzig. https://vvulnerablepeoplee.wixsite.com/website
木村佳奈|Kana Kimura
アイスランド芸術大学ファインアート学科卒業。 文化人類学的側面から、内外在な関係性の変遷を観察し制作する。一時性やそこで起こる力学的運動に注目し、プロジェクトやワークショップなどを試み「儀式的制作」と呼ぶ。ウェブマガジン「ヴァルナブルな人たち」を運営。
Kimura has graduated from Fine Art BA, Iceland University of the Arts. From a cultural anthropological perspective, the artist observes and produces the transition of internal and external relations. Focusing on transience and the dynamic movements that take place there, she attempts projects and workshops, which she calls ‘ritual production’. She run a web magazine “vulnerable people” https://kanakimura.wixsite.com/kanakimura
月の沙漠 | The Desert Moon
近年、江幡は家族をテーマにしたシリーズ<<The Case of T&S>>制作しています。『月の沙漠』はコロナ禍の中で江幡の父親を実家で看取った際に撮影したドキュメンタリー映像を元に、井戸を通して死者と語りかけるという民間伝説を重ね合わせた短編映像として制作されました。
『月の沙漠』は父親を亡くしてから、コロナ禍が続き、まだ江幡自身の中で喪が明けない状態で制作されました。シリーズの中でも特に江幡の父に対する罪の意識と自分と社会に対する怒りに焦点を当て、暴力的とも言える編集がなされています。
コロナ禍の中で病床が不足する中、指針が整備されないまま自宅での看取りが政府に推奨され始め、看取りの現実の状況を世の中に知らせる必要を感じ制作をしました。
同時期に尊厳死も現実のものとして報道がされ、それに加えて、ウクライナ侵攻が始まりました。平和の中で生きていくこと、死ぬことの難しさと、戦争の中での命の軽さとの矛盾に深い戸惑いを覚えました。
江幡の父は20年以上脳出血の後遺症を患っていました。父の癌が発覚した時、高齢の両親は手術を拒否することにしたそうです。コロナ禍では手術を拒否すると病院にいることができず、自宅で看取りをすることになりました。ちょうどテレビで看取りのドキュメンタリーを見た母は自分も父を自宅で看取りたいと思ったそうです。
母から連絡が来た時には医者から余命2週間と言われました。急性の下顎癌で、痰の吸引を毎日しないと、どんどん喉が詰まって行くそうです。担当医は高齢の医者で看取りの経験はほとんどなく、急性癌の経験はありませんでした。父はモルヒネを与えられず毎日鼻から肺までチューブで痰を吸引をされ、毎回泣き叫んでいました。
江幡自身も父の最後の瞬間に立ち会いたいという想いから睡眠不足に陥り、判断力がどんどん落ちて行き、別の方法を探す余裕もありませんでした。愛する父に少しでも長く生きて欲しいと看病をする一方、その愛する気持ちが父を生きながらわせることに傷つきながら過ごしました。
父は結局2ヶ月ほど毎日のように苦しみながら最後を迎えました。
映像の中で、江幡は現在自分が住む父の実家の古井戸に入り、亡くなった父に語りかけます。『お父さん、ごめんね』
ーーーーーー
映像は京都のモナド・コンテンポラリーと江幡の自宅の庭にあるプロジェクトスペース、ハウス・オブ・エバタで上映され、各会場に合わせて、新作が作られ、ワークショップやトークも行われました。また、残りの素材を両親の愛の形や、映画『リング』のパロディーなど、様々な形式で編集される予定です。
ワークショップは参加者から涙を集める『塩』と、父が所有していた原発に関する60年代の古い本を花の形に切ってもらう『花』を開催しました。父の中学時代の日記と写真を題材にした作品『初恋』は、作品購入者が展示会場に控えている占い師にタロットカードで購入する作品を与えられます。
『塩』では父の死からしばらく経つのにまだ涙の止まらない自分の弱さ、社会において「死」をタブー視しすぎることから生まれる話し合いの少なさによって生じる様々な社会問題を念頭に弔いの過程をユーモアに転換しています。なるべく効率的に多くの涙を集め、それを塩に変え、家の庭の梅の木になる実で梅干を作る目標を立て、木村佳奈さんと福田真子さんと共にフードイベントを開催しました。2023年6月現在梅を収穫し、現在涙を絶賛募集中です。
また、展示に合わせ、ロシア人の研究者ビクター・ベルゾエロフさんをお迎えして現在のロシアのアートについてトークをしていただきました。世の中で分断が進む中、平和は人間にとってまだ新しい存在で、私たちは平和の中でどのように生きていくか学んでいる最中であると思い知らされることは多々ありますが、それでも自由がなくなる状態、戦争で人を殺して生きていく状態には戻ることは想像を絶します。ほんの少しでも、自分と違う立場にいる人の話を聞いていくことはとても大事なことだと感じています。
“The Desert Moon”, is a part of <The Case of T&S>, an ongoing series of works on the theme of Ebata’s family, which focuses on the end-of-life care of Ebata’s father and her guilt that she may have caused him more pain because of her love for him, accompanying by related works, workshops and talks. The project will be edited with different theme with different materials of two months including a parody of a Japanese movie “Ring” as well as focusing the love of her parents.
With the shortage of hospital beds amidst the Corona disaster, the government recommended end-of-life care at home without guidelines in place, and with little information available, the end-of-life care of Ebata’s father by an elderly doctor with little experience may have been more painful than necessary for the patient himself. Death with dignity was also reported in various media reports as a real possibility. On top of these issues, the invasion of Ukraine in Europe, where many of her friends live, began. The video work was produced in a bewildering contradiction between the difficulties of living and dying in peace and the lightness of life in the midst of war.
The video footage for ” The Desert Moon” was filmed at Ebata’s own parents’ house, as well as at an old well in his father’s family home, where Ebata now lives, referencing a folk legend about talking to the dead through the well. The Ebata’s house is used as a project space, House of Ebata. The work was presented at Monad Contemporary in Kyoto and at the House of Ebata, with new works created for each venue.
The workshops consisted of ‘Salt’, which collected tears from participants, and ‘Flowers’, in which participants were asked to cut an old book from the 1960s about nuclear power plants that belonged to their father into the shape of a flower. In ‘First Love’, a work based on my father’s junior high school diary and photographs, the purchaser of the work is given a tarot card by a fortune teller attending the exhibition venue to purchase the work.
In ‘Salt’, the process of mourning is transformed into humour, bearing in mind the weakness of the artist, who still cannot stop crying even though it has been some time since his father’s death, and the various social problems caused by the lack of discussion that arises from the over-taboo treatment of ‘death’ in society. I set myself the goal of collecting as many tears as efficiently as possible, turning them into salt and making pickled plums from the fruit of the plum tree in my garden. Together with Kana Kimura and Mako Fukuda, we organised a food event: as of June 2023, we have harvested the plums and are currently in the process of collecting more tears.
To accompany the exhibition, we also invited Russian researcher Viktor Berzoerov to give a talk on current Russian art. As the world becomes increasingly divided, we are often reminded that peace is still a new existence for human beings and we are still learning how to live in peace, but it is hard to imagine returning to a state where we will no longer have freedom and where we will live by killing people in war. I feel it is very important to listen to people who are in a different position to us, even if only a little.
“While watching, I had a kind of mixed feelings. I saw a woman who was suffered and lost by her father’s death. She tried to cope with the suffer by going down into a deep dark well to realise her recent past.
The footages of her parents show many emotions: dramatic pain of her ill father, love between wife and husband, love between father and daughter, and the feeling of letting someone go.
You ended the work in a nice way: telling your deceased father (including your audiences) about current relationship between you and your mother. Finally, you ended your performance by saying “See you” to your dad, which made me think that this is an on-going process of the artist who is still coping with the death of her father.”
Toeingam Guptabutra, Silpakorn University
江幡京子展
月の沙漠 | The Desert Moon
Kyoko Ebata
2022年12月17日(土)〜1月日8日(日)14~19時
レセプション 12月17日(土)19時〜
monade contemporary | 単子現代
〒605-0829 京都府京都市東山区月見町10-2 八坂ビル地下1階 奥左入ル 2号室
Sat 17 Dec 2022 – Sun 8 Jan 2023
Reception 19:00 19 Sat 17 Dec
monade contemporary | 単子現代
Room 2, B1F Yasaka Bldg, 10-2 Tsukimi-cho, Higashiyama-ku, Kyoto, 605-0829
https://monadecontemporary.art-phil.com
月の沙漠 | The Desert Moon
ある日、母からメールが来ました。父の下の顎に癌が見つかり、手術をしないことに決めたそうでした。父は22年間脳出血の後遺症を患って闘病生活を送っていたので、わたしも反対しませんでした。それからいつの間にか父は自宅で看取られることになりました。父の癌はどんどん進行し、お医者さんによると余命二週間で、痰が喉に詰り癌で死ぬ前に窒息死する恐れもあるとのことでした。そこでわたしはしばらく実家に帰ることにしました。
肺の奥までチューブを入れる痰の吸引は毎日2回2ヶ月近く続き、父は地獄のような日々を送りました。母とわたしはそれをじっと見ていました。看取りのことを何も知らなかったわたしたちは父に2回お別れをしました。それからまた数週間して、父は黒い便をしました。亡くなる前に人間の体は汚物を全て外に出すそうです。それは真っ黒な液体でした。3回目に父は本当に亡くなりました。
今思い返すと、わたしが父のそばにいることで、悪戯に父の苦しむ時間を伸ばした気がします。父が亡くなる瞬間を見ないといけないと思い込み、つきっきりで看病してどんどん判断力が鈍って行きました。ほんの100年前なら、情けを掛けてあげるのが筋だったはずです。そして、多分それをしなければならないのは長女のわたしだったはずです。愛情は暴力でもあります。わたしたちは本当に父が大好きでした。
One day, I received an email from my mother. She told me that cancer had been found in my father’s lower jaw and they had decided not to operate. I didn’t object, as my father had been suffering from the aftereffects of a brain haemorrhage for 22 years and had been battling with the disease. Before I knew it, they decided to take care of my father at home. His cancer was progressing rapidly and the doctors said he only had two weeks to live, and that he might choke to death before dying of cancer from phlegm in his throat. So I decided to stay at my parents’ flat for a while.
The suctioning of phlegm, which involves inserting a tube deep into the lungs, continued twice daily for nearly two months, and my father lived in hell. My mother and I could not do anything but watch him. We didn’t know anything about end-of-life care, so we said goodbye to him twice. A few weeks later, he had a black stool. Apparently, before dying, the human body has to expel all the filth out of it. It was black liquid. On the third time, my father really passed away.
Looking back, I feel that by being there for my father, I prolonged the time he spent suffering without realising it. I felt I had to watch him die, and my judgement became more and more impaired as I nursed him without beaks. Just a hundred years ago, it would have made sense to show him mercy. And perhaps it was I, the eldest daughter, who had to do it. Love is also violence. We really loved our father.
Kyoko Ebata
〈展覧会情報〉
monade contemporary | 単子現代では、アーティスト江幡京子による「月の沙漠 | The Desert Moon」を開催します。
江幡はこれまで、世界各国で開催した高齢者の自宅室内の写真シリーズの展覧会、東チモールの若者に向けた写真ワークショップなどを行うなかで、人々の生と死をめぐる孤独と暴力に向き合ってきました。また最近では、自宅を他者との共同生活、作品制作における協働のスペースとする住み開きのプロセスを公開しながら、国家、地域、個人、そして自然とのかかわりのなかで生と死、あるいは新しい生存や生活のためのコミュニティのあり方を模索してきました。
近年、江幡は自身が撮影した父の看取りの録画を振り返りながら、父や家族とのかかわり、人の生死のあり方に目を向けた物語をショート・フィルムとして制作しています。本展は、江幡自身の父を失った悲しみを乗り越えるプロセスを観客と分かち合い、父や家族、生と死、そして今後の世界に向き合う喪の機会となることでしょう。愛は死と出合うときどのように暴力へと転化し、死とともに愛はどのように記憶を生かすことになるのでしょうか。喪失という契機から起こる、愛と暴力の叙情詩にご参加ください。
〈Exhibition Information〉
monade contemporary | 単子現代 is honoured to present The Desert Moon by artist Kyoko Ebata.
Kyoko Ebata has explored the loneliness and violence surrounding people’s lives and deaths through exhibitions of her photographs taken inside the homes of elderly people in various countries around the world, as well as photography workshops for young people in East Timor. More recently, she has been engaged in the process of opening her home to the public as a space for living with others and collaborating in the production of artworks, while searching for a new mode of life and death or community for survival and living in relation to the nation, region, individual, and nature.
In recent years, while reflecting on the video recordings of her father’s end-of-life care, Ebata has been creating short films that tell stories focusing on her father, experiences with family, and the nature of human life and death. The exhibition will be an opportunity for Ebata to share with the audience the process of overcoming the grief of losing her father and time of mourning to reexamine her lost father and family, life and death, then the world that comes in the future. How does love turn into violence as it meets death, and how does love keep memory alive along with death? Please join us for lyrical poetry in the moment of loss that wavers between love and violence.
<作品リスト| The Price List>
月の沙漠|The Desert Moon 2020-2022 ビデオ video
井戸鉤 Well Hook 制作年不明(形見)鉄 ion object
灰ならし Ashing 制作年不明(形見)鉄 ion object
花 Flower 2022-23 本、糸 book and strings
参加型インスタレーション (納屋から父の原発に関する古い本が出て来ました。あれだけ情報があったのに、福島の原発事故を起こしてしまったことは衝撃です。わたしたちはいつになったら学ぶのでしょうか?ギャラリーに訪れた方に本の好きなページを花の形に切り抜いていただいて、花の飾りを作ります)
Participatory installation. My father’s old books on nuclear power plants came out of the storage barn. It is shocking that after all the information we had, we managed Fukushima nuclear accident to happen. When will we learn? Visitors to the gallery are invited to cut out their favourite page from the book in the shape of a flower to create a floral ornament that looks like a condolence offering.
庭 Garden 2022 チョーク*窓の外の中庭にあります。
*窓から外に出ることが可能です。ハシゴを上がる時、必ず井戸鉤が引っかかるので、お気をつけ下さい。
初恋 First Love 父の古い写真、日記から引用したテキスト
*作品購入希望者の方にはタロットカード(大アルカナ)を引いていただいて、引いたタロットカードに関連する作品を購入することになります。それに合わせてギャラリーカフェのオーナーの占い師、みずうみさんがタロット占いをして下さいます。
* To purchase a work on display about my father’s first love, you will be asked to draw a tarot card from a pack of major arcana and the card is corresponding to a work. Then Mizumi-san, the cafe owner of the gallery/a professional tarot-reader will give you a reading alongside minor arcana cards.
The gallery is situated in the middle of Gion, the most exclusive geisha district in Japan. A cathouse is the neighbour of the gallery. The 1000 years of history of men and women astonished me. I couldn’t dare add any more words to the space.
So I decided to change the plan of installation and chose the texts from my father’s diary (Sorry, Dad. You were too cute!) about his affection towards a young girl when he was 15 years old. He only spoke to her 3 times in the year.
I know it is impossible but even in the hardest time of our life, trying to keep love in your heart is important. And simple words like these are very important in a place like this.
写真 Photos 制作年不明
1. 女帝|The Empress(キッチンの横の壁 上)
2. 力|Strength(キッチンの横の壁 中左)
3. 吊られた男|The Hanged Man(キッチンの横の壁 中右)
4. 恋人|The Lovers (キッチンの横の壁 下)
5. 月|The Moon(キッチン正面 左中)
6. 隠者|The Hermit(キッチン正面 右上)
7. 世界|The World(キッチン正面 右下右)
8. 運命の輪|Wheel of Fortune(キッチン正面 右下左)
9. 節制|The Temperance(キッチン正面 給湯器 上)
10. 死神|The Death(キッチン正面手前灰ならしの右)
テキスト Texts 1958年/2022年
i. 1) 戦車|The Chariot(キッチン正面 左上左)
ii. 2) 愚者|The Fool(キッチン正面 左上右)
iii. 3) 女教皇|The High Priestess(キッチン正面 左中右)
iv. 4) 皇帝|The Emperor(キッチン正面 左下左)
v. 6) 悪魔|The Devil(キッチン正面 左下右)
vi. 5) 法王|The Hierophant(キッチン正面 右上左)
vii. 8) 星|The Star(キッチン正面 右中右)
viii. 11) 正義|Justice(キッチン正面 右中左)
ix. 10) 太陽|The Sun(キッチン正面 給湯器 中)
x. 9) 塔|The Tower(キッチン正面 給湯器 下)
xi. 7) 魔術師|The Magician(キッチン正面手前グラスラック)
xii. 12) 審判|Judgment(キッチン正面手前灰ならしの右)*大晦日に開けてください。
テキストは父が中学3年生から高校1年生の頃に書いた日記より抜粋したものです。この頃父は近所に住む年下の少女に恋をしていたようです。
1) 戦車
1月14日火曜 雨
恋の美しさというものを知った
又悲しさも
滝さんぼくは君が好きだ
一番好きだ
ぼくが君を好きになるのは自由だ
おれは勉強して強くなるぞ
えらくなるぞ
滝さん見てて下さい
2) 愚者
1月17日金曜 晴
ぼくは滝さんが好きだ
好きなものは好きだ
不良かもしれない
3) 女教皇
2月17日月曜日 晴
治子様
人間、苦労をしなければ立派な人間になれないと言われています
では苦労して立派な人間とはどんな人なのでしょうか
自分は度量しても立派な人間に慣れないのではないでしょうか
自分の生きていく道は自分で切り開いていかねばならないのです
自分の一生の計画を通すためには困難があるのです
そのまずはじめが今度の入試です
でも、まだこんなのは序の口です
4) 皇帝
2月19日水曜 うす曇
治子さん
私は今日二時間目から五時間目までの授業をさぼってしまいました
先生に捕まりお説教されました
勉強できる人が偉い人なのでしょうか
確かに勉強できなくてはだめです
しかし、そうばかりではない気がします
おやすみなさい
私の大好きな治子様
5) 法王
2月17日月曜日 晴
治子様
人間、苦労をしなければ立派な人間になれないと言われています
では苦労して立派な人間とはどんな人なのでしょうか
自分は努力しても立派な人間になれないのではないでしょうか
自分の生きていく道は 自分で切り開いていかねばならないのです
自分の一生の計画を通すためには
困難があるのです
そのまずはじめが今度の入試です
でも、まだこんなのは序の口です
6) 悪魔
3月5日水曜 晴
治子さん
本当のことを言いますと
今まで私の心の中の三分は
私のクラスの見矢木と言う人に奪われていました
しかし今日から治子さんが九分通り支配します
と言うのは
治子さんと話す機会が全然ありませんですので
ともすると色々な人が顔を出すのです
しかし全て治子さんのことで満たされるのも間近かと思っております
7) 魔術師
5月6日火曜
何もなかった(というのはうそだ)
8) 星
8月18日 月曜 晴
アメリカが月に向けてロケットを打ち上げた。
滝さん
9) 塔
8月24日
八王子において試合があった
あらよ
と負けてしまった
10) 太陽
8月27日水 晴
なんて気持ちが良い天気なんだろう
空の色、木の葉の間からさしこむ太陽の光、
それぞれに思い出がある。
小さい頃の記憶が蘇ってくる。
11) 正義
10月8日 水曜 晴
青木、てめえ、しっかりしろ
おれだって何も滝さんがどうっていうんじゃねえんだ
好きなことは好きなんだが、
昔を想い出しても、この方三年というもの口を聞いたのは唯一三回
てめえなんぞは一年間ツラをおがんでいたんじゃねえか
その間にもっとひきつけとかねえのがいけねえんだ。
だが、今少し待ってろ。
12) 審判
12月31日水曜
年越しイベントの時に開いてみてください。
アルコール Alcohol
上善如水
みずのごとしの名前の通り、あらゆるものと調和して、するりと喉の奥へと落ちる。シンプルで清らかなお酒です。
『父の好きだったお酒です』(作家談)
サンピースウイスキー
「サンピースウイスキー」は弘化3年(1846年)創業の宮崎本店が製造しています。戦後になって発売され、太陽の下で平和を謳歌できる喜びと願いを込め「サンピース」と名付けられました。輸入したモルトウイスキーとグレーンウイスキー、スピリッツをブレンドし、宮崎本店の酒造りに欠かせない地下150mから汲み上げる鈴鹿山系の超軟水の伏流水を使用しています。同社はホッピーとのセットでお馴染みの「亀甲宮焼酎」、通称「キンミヤ焼酎」を製造しています。従価税表記時代(1989年以前)には二級ウイスキーだったのではないかと思われます。マイナーチェンジはしていますが、その当時の日本の地ウイスキーの味を体感できるウイスキーではないかと言われています。
『日本のウィスキーらしい味がします。後味が悪いウィスキーです。何時間もひきます』(作家談)
ハーブティー Heval Tea
ラブ
リバイタライズ
レモンジンジャー&マヌカハニー
カモミール
日本茶 Japanese Tea
ほうじ茶
お茶うけ Sweets
服部製糖所 藍玉
<タイトルの背景|The back ground of the title>
タイトルの『月の沙漠』は作詞:加藤まさを、作曲:佐々木すぐるによる日本の童謡から引用しました。父が亡くなった後、実家の洗面所の鏡にこの歌の歌詞が張ってありました。父が亡くなってから、母は一時お歌の先生のところにお稽古に行っていました。父を看病していた時、私が母に歌を歌ったらどうかと提案した時に、彼女の中から歌が出てこなかったことがあり、それでお稽古に通っていたのではないかと思いました。歌詞は「王子様とお姫様が駱駝に乗って沙漠をとぼとぼと行く」というもので、父の闘病が始まってからの二人の20年間を思い起こしました。
歌詞を書いた加藤まさをは大正から昭和初期に叙情的な挿絵画家として活躍したそうで、その後1927年にラジオ放送され、1932年に柳井はるみの歌唱で録音・レコード化され、童謡として広まったそうです。曲のタイトルは「砂漠」ではなく「沙漠」となっていて、曲の歌詞が千葉県の御宿海岸をモチーフとしており、乾いた砂ではなく、水分を含んだ海岸の砂であることを表現しているそうです。
また、王子と姫が二人だけで旅をしていたら、たちまちベドウィンに略奪される。砂漠で月が「朧にけぶる」のは、猛烈な砂嵐が静まりかけるときぐらいに限られる。などという歌詞に対する批判もあったようで、砂漠を見たことのないロマンチックな日本人が作った歌詞が、死の世界を知らないで想像している自分に重なりました。更に英語でDeart Moonを検索すると、また両親を思い起こさせる80年代の曲にあたり作品のタイトルが決まりました。
月の沙漠
月の沙漠を はるばると
旅の駱駝がゆきました
金と銀との鞍(くら)置いて
二つならんでゆきました
金の鞍には銀の甕(かめ)
銀の鞍には金の甕
二つの甕は それぞれに
紐(ひも)で結んでありました
さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人は おそろいの
白い上着を着てました
曠(ひろ)い沙漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる月の夜(よ)を
対(つい)の駱駝はとぼとぼと
砂丘を越えて行(ゆ)きました
黙って越えて行きました
Desert Moon by Dennis DeYoung
“Is this the train to Desert Moon?” was all she said
But I knew I’d heard that stranger’s voice before
I turned to look into her eyes, but she moved away
She was standing in the rain
Trying hard to speak my name
They say first love never runs dry
The waiter poured our memories into tiny cups
We stumbled over words we longed to hear
We talked about the dreams we’d lost, or given up
When a whistle cut the night
And shook silence from our lives
As the last train rolled towards the dune
Those summer nights when we were young
We bragged of things we’d never done
We were dreamers, only dreamers
And in our haste to grow too soon
We left our innocence on Desert Moon
We were dreamers, only dreamers
On Desert Moon, on Desert Moon
On Desert Moon, Desert Moon
I still can hear the whisper of the summer night
It echoes in the corners of my heart
The night we stood and waited for the desert train
All the words we meant to say
All the chances swept away
Still remain on the road to the dune
Those summer nights when we were young
We bragged of things we’d never done
We were dreamers, only dreamers
Moments pass, and time moves on
But dreams remain for just as long
As there’s dreamers, all the dreamers
On Desert Moon, on Desert Moon
On Desert Moon, Desert Moon
クレジット
江幡定夫
江幡照子
江幡京子
撮影
江幡京子
山田沙奈恵
編集
山田沙奈恵
江幡京子
字幕 池端規恵子/木村佳奈 /鈴木愛 /エレア・ヒンメルスバッハ
協力
F.アツミ
アビ
浅野智明
井出竜郎
宇多村英恵
大久保あり
大槻英世
岡本大河
後藤克史
鈴木愛
さくまはな
西村慎太郎
ジョン・L・トラン
ティム・バーンズ
株式会社 明研
父の看取りに関わって下さった全ての方々にお礼を申し上げます。
江幡京子
Credit
Sadao Ebata
Teruko Ebata
Kyoko Ebata
Camera
Kyoko Ebata
Sanae Yamada
Editor
Sanae Yamda
Kyoko Ebata
Subtitles Kieko Ikehata/ Elea Himmelsbach/ Kana Kimura/ Ai Suzuki
With
F. Atsumi
Abi
Tomoaki Asano
Tim Byrnes
Tatsuro Ide
Shintaro Nishimura
Katsushi Goto
Taiga Okamoto
Hideyo Ohtsuki
Ari Okubo
Hana Sakuma
Ai Suzuki
John L Tran
Hanae Utamura
Meiken Inc.
I would like to express my sincere gratitude to all the people for being by our side all through these challenging days and ensuring that we could say our goodbyes. Thank you so much.
Kyoko Ebata
作者、江幡の父親は脳出血の後遺症を抱えて22年間の闘病生活を送った末に、77歳で進行癌で亡くなった。癌が見つかった時、既に左半身麻痺の障害を持って生きて来た上に、更に下顎を全て削り出す手術はあまりにも過酷で江幡の両親は手術を拒否した。
コロナ禍の中、病床が足りない時期に手術をしない決断をしたため、入院することができず、自宅で看取ることになった。下顎癌だったため、気管がどんどん狭まり、そこに詰まる痰で窒息死を防ぐため毎日チューブで肺から痰を吸い出さなければならず、これが大きな痛みをともない、二ヶ月間苦しみ続けた。
看取りに関する情報の少なさに、看病する側も彼の死の瞬間に別れを言わなければならないと思い込み、昼も夜も隣につきっきりになりながら、正常な判断ができなくなっていった。苦しんでいる人を助けてあげられない苦しみ、自分の手に相手の生死が任されるという恐怖を味わいながら、人が死んでいく姿を見つめ、二度お別れをした。そして、三度目に彼は本当に亡くなった。
家族の彼に生きて欲しいという愛情はある意味暴力でもあり、本人はすぐにでも死にたかったであろうが、家族への愛情のために苦しみを耐えたとも言える。他にもっと彼を楽にさせてあげる方法があったのではと、誰もが感じるであろう後悔の中、コロナ禍の中で政府が推奨し始めていた「看取り」は、核家族化した現代社会においては、近代前の大家族で迎える畳の上での大往生とは全く違うものであった。より多くの知識と監査体制が必要であると感じ、なるべく早く多くの人々に見てもらおうと作品を制作する中、ウクライナ侵攻が勃発した。
戦争であれば、死にたくない人を殺すのはやむを得ない事だと見なす人が現実が存在する中、平和な社会では死にたいと思っている人は死ぬ権利がない。この矛盾にどのように向き合えば良いのだろうか。尊厳死が答えなのだろうか?近代を経て、私たちはより幸せになったのだろうか?長い間、宗教がになってきた領域を私たちは個人として受け止めることができるのであろうか?死やそれにまつわる関係性にまつわる物語は難しく、ともするとそれに囚われて人生を生きることができなくなってしまうものだ。しかしこの問題に蓋をし続けて行けば行くほど、人はますます孤独になっていくであろう。
父親の看取りは、江幡にとって長い間ほとんど対話をして来なかった母親と対峙する機会でもあった。母親の父に対する複雑で深い愛情を発見し、庇護者である父を亡くした母親が、老いとともに娘が庇護者となっていくことを少しずつ受け止める現実に戸惑いつつも、自分自身にも少しづつ老いが忍び寄っているのを感じつつ、毎日の生活を振り返り再解釈を繰り返しているとも言えるだろう。
この家族にまつわる物語、『月の沙漠』は、江幡が長年にわたって、家族とカメラを通して向かい制作してきたシリーズの一環で、制作は現在も続いている。最初は高齢者の部屋のシリーズ『ジャムの瓶詰め小屋』の一作品として匿名性を伴って発表されていたものが、徐々に直接自分の家族の物語として発表するようになり、更に新たなナラティブを与え、関連した作品や企画を通して、より普遍的な物語に発展している。これは、江幡の家族の物語であるとともに、江幡自身の物語でもある。
The artist, Ebata’s father, died of advanced cancer at the age of 77, after a 22-year battle with the aftereffects of a cerebral haemorrhage. When the cancer was discovered, Ebata’s parents refused to have the operation because it would have been too harsh to remove the entire lower jaw, in addition to the fact that he was already living with a paralysed left side of his body.
Because they made the decision not to operate at a time when there were not enough hospital beds amidst the coronary disaster, he could not be hospitalised and had to be cared for at home. As he had cancer of the mandible, his trachea became narrower and narrower, and to prevent him from suffocating to death from the phlegm that clogged it, a tube had to be inserted into his lungs every day to suck out the phlegm, which caused him great pain and he suffered for two months.
The paucity of information on end-of-life care led the nursing artist herself to believe that she had to say goodbye to her father at the moment of his death, and she lost the ability to make the proper decisions as she stayed next to him day and night. His family experienced the pain of not being able to help someone who was suffering, and the terror of a person’s life or death being placed in their own hands. Then they watched him die and said goodbye to him twice. And the third time he really died.
The family’s love for him, wanting him to live, was in a way violent. He would have wanted to die immediately, but he endured the suffering for the love of his family. We felt the regret that anyone would have felt, that there were other ways to make him feel better. At that time, the Corona disaster was becoming more serious and the government was beginning to recommend ‘end-of-life care’. However, in today’s society of nuclear families, it was completely different from the great deaths on tatami mats that were celebrated in large pre-modern families. Ebata felt that more knowledge and an auditing system were needed and decided to show the work to as many people as possible as soon as possible. In the meantime, The invasion of Ukraine broke out.
In peace a person who wants to die does not have the right to die, while in war there are real people who see it as unavoidable to kill those who do not want to die. How can we face this contradiction? Is a death with dignity the answer? Have we become happier through modernity? Can we as individuals accept the territory that religion has long become? Stories about death and the relationships that surround it are difficult to tell, and sometimes we get so caught up in them that we lose the ability to live our lives. But the longer we keep a lid on these issues, the more alone we will become.
The end-of-life care of her father is also an opportunity for Ebata to confront her mother, with whom she has hardly interacted for a long time. She discovers her mother’s complex and deep love for her father, and is perplexed by the reality that her mother, who has lost her protector father, gradually accepts that her daughter is becoming her protector as she grows older. At the same time, she reflects and reinterprets her daily life, feeling that old age is slowly creeping up on her as well.
This family story, “The Desert Moon”, is part of a series that Ebata has been working on for many years, facing her family through her camera, and the work continues today. What was initially expressed indirectly as part of “The Game Keeper’s Jam Cellar”, series of elderly people’s rooms, gradually began to be presented directly as the story of her own family, giving it further new narratives, and developing into a more universal story through related works and projects. This is the story of Ebata’s family as well as Ebata’s own story.
Myanmar @House of Ebata
Burmese women artists are staying with us.ミャンマー人の作家さん達が泊まって下さってます。勇敢でエネルギーに満ち、光り輝くような美しさを持った方々で、毎日沢山の力をいただいてます。オンゴーイングでの展示は26日(日)までだそうです!The show at Ongoing is until Sunday. They are so brave, beautiful and full of energy! I am totally in love with them. We talked so much about the strange world we live in. Incredible experience. Thank you so much for staying with us😍
https://www.ongoing.jp/exhibition/?fbclid=IwAR15Drqwtbh0TwgVK7mv0nEXlk4ne-ucilRr8_EhXpPjsEBfy13Fnie81Bc
„alter|n|ative“ IG Bildende Kunst, Vienna
„alter|n|ative“
at IG Bildende Kunst (https://igbildendekunst.at/),
Crisfor (AT), Barbara Eichhorn (AT), Kyoko Ebata (JP), Mario Höber (AT), Urban Nomad Mixes (AT), Angelika Kaufmann (AT), Hanna Schimek/Ula Schneider/Andrea van der Straeten (AT)
The opening will be 9th of June, the show runs until 29th of September.